論考

Thesis

日米の鉄鋼産業遺産プロジェクト

●東田高炉の保存運動

 北九州からピッツバーグを訪れた鉄鋼彫刻家、母里聖徳(ぼり・きよのり)氏(38才)を10月29日から3日間案内する機会があった。彼の目的は、米国の鉄の街で、産業遺産がどのように保存・活用されているかを調べ、彼自身も参加している北九州での高炉保存運動に活かすことにあった。
 北九州市のJR八幡駅のすぐ近くに、東田第一高炉という23年前に使われなくなった古い溶鉱炉が立っている。胸部のプレートには1901という数字が刻まれ、1901年に官営八幡製鉄所の第一溶鉱炉として火が入り、この地から日本の近代製鉄業が始まったことを示している。厳密に言えば、高さ70メートルの巨大な塔はオリジナルではない。1962年まで9回の改築を経て使用された後、解体して新たに建て直された二代目だからである。しかし、八幡で暮らし働いた人々にとっては、幼い頃から親しんだ街のシンボルに違いなかった。
 操業停止した翌73年、新日鉄は高炉を近代鉄鋼業発祥地として保存し、付近一帯を緑地化した。その後、産業構造の転換や円高などの影響で経営環境が厳しくなると、この歴史的建造物は手入れもされず腐食し、危険物として立入禁止されるようになった。89年に隣接する遊休地にテーマパークが建設される際、「維持費がかかる」「危険」「汚い」「公害を思い出させる」などの理由で新日鉄は解体を決意したが、地元住民が待ったを掛けた。1世紀近くランドマークとして地域に愛され、また近代化の歩みを証言する高炉を保存しようとする市民運動が起こったのだ。
 行政と協力して6年間運動した結果、94年に高炉と土地が新日鉄から市に寄贈され、97年までに市の財政負担(塗装・炉体や配管の復元など約7.5億円が必要と新日鉄は試算)で修復・再公開されることが決定した。母里さんは、新日鉄や市に保存を訴え続けた一人である。芸術家の立場から、新日鉄をはじめとする地元企業や北九州活性化協議会に働きかけ、東田高炉など市内各地を会場に国際鉄鋼彫刻イベントを、87年と93年に2度企画した。地元の高度な工業技術を活かし、北九州ならではの芸術が成立可能なことを示した(94年4月の月例報告で既報)。そして、今回ピッツバーグの事例に強い関心を示して来訪に到った。

●ピッツバーグと鉄鋼業

 私たちは鉄鋼産業遺産協会(SIHC)を訪問した。SIHCは、1988年に設立された民間非営利組織で、「ペンシルベニア州南西部にある歴史・文化・自然・余暇に通じる鉄鋼とその関連産業を保存・解説・育成・経営し、地域の経済再生に貢献すること」を目標にしている。
 1875年にこの地域で大量生産され始めた鉄鋼は、建物・鉄道・橋梁などの材料として広く利用され、ピッツバーグに巨大資本と大量移入をもたらした。1900年の時点で既に、カーネギースティール(翌年USスティールに社名変更)は2万人を雇用し、当時のイギリス粗鋼生産高を上回っていたそうだ。鉄鋼以外にも、石炭・コークス・ガラス・アルミニウム・電機・天然ガスなどの工業が発展し、ウィスティングハウスやアルコア、ピッツバーグ板ガラス(現PPG)などの大企業が誕生した。また、1892年には米国労働運動史に有名なホームステッド・ストライキが起き、組合側とスト破りに導入された州兵側の双方に死者を出した激しい歴史の舞台にもなったそうだ。
 約100年の繁栄の後、1970年代後半からピッツバーグの鉄鋼業は壊滅に向かう。1979年から85年の6年間に40以上の工場が完全閉鎖し、70年から90年の20年間に15万7千人の製造業で職を失い(うち鉄鋼・金属が57%)、製造業が全産業に占める割合は、70年の27%から90年の11%と減少した。初めは「景気が上向きになれば、また乗り切れる」と考えていた人々も、やがて「鉄鋼業の死」を意識するようになった。そこで、彼らのプライドを維持し、かつ新たな雇用を創出する方法として、鉄鋼遺産を活かすアイディアが注目され、SHICが設立された。

●遺産の観光活用

 ピッツバーグは、周囲の4地域と川で結ばれている。SIHCは、かつて原材料や製品を運んだ川を今度は観光客の移動に利用しようと計画している。中心のピッツバーグ地域は「ビック・スティール・ジャーニー」と題され、現存する唯一の蒸気で動く圧延工場や当時の労組本部など鉄鋼産業遺跡や、製鉄労働者が暮らした街並み、最新技術を駆使して迫力ある製造過程を仮想体験する施設を、ボートで移動しながら楽しむツアーだ。
 今年12月にマスコミ発表される経営行動計画は、2名の建築家と各1名の博覧会・民俗文化・経済開発・産業史・歴史保存建築の専門家により提言された。それによると、全てが完成した時には、年間84万人の観光客が訪れ、1,127名の新規雇用と年間57億円(入場料5億円/宿泊等7.5億円/経済開発30億円/イベント収入14.5億円)の経済効果が見積もられている。95年度は、州政府から2億2千5百万円の補助金(一般会計から2億円/遺産公園プログラムから2千5百万円)と、連邦政府内務省から国立公園事業として3千8百万円の借入金を得ている。プロジェクト総必要経費101億円にはなお遠いが、巨大事業は既に始動している。
 オウガスト・カウリノ事務局長が強調したグラスツール(草の根)からの運動論も大変興味深かった。州や連邦政府の各プログラムに応募し、選定・助成されている点では上からの事業化と言えるが、政府と民間団体の考え方は異なるし、地域の住民の協力があって初めてこの事業は成り立つ、と彼は主張した。上記の計画が実施されるアレゲニー郡は、ピッツバーグ市を除いて130の小さな町村に分裂しているが、SIHCはタウンミーティングと称する小会合開いて、各地域を巻き込んでいったと言う。
 まず最初に、住民から鉄鋼業が盛んだった頃の想い出の写真を郵送してもらう。次に、SIHCがそれを2枚スライド化する。1つは協会内に保存し、もう1つは各地の図書館で公開する。最後に、タウンミーティングを開いて鉄鋼遺産プロジェクトの話を説明し、参加を呼びかける。「エンパイヤーステートビルは俺たちの鋼材で出来ている」とか「第2次大戦中は『民主主義の兵器庫』として活躍した」など、自分や家族が体験した歴史を地域の民俗文化として伝承したり、記念になる品物や写真の提供することを求める。協力者は、自分も伝説の偉大なストーリーの構成員であった気付き、大変喜ぶそうだ。

●北九州への応用

 ピッツバーグ再生の中心人物で、SIHCの理事の1人でもある前ACCD常務理事のロバート・ピーズ氏にも話を伺った。ピーズ氏は、北九州の街づくりシンポジウムでも講演した経験もあり、両市の類似点にも精通している。その彼は、「北九州も是非、総合的な産業遺産の開示を行うべきだ」と言った。その理由として、「八幡・戸畑の製鉄業だけでなく、門司・若松・小倉との5市合併や、長崎に落された原爆は小倉に落される予定だったことなど、北九州には重要な近代史がある」と語った。旧知の内容でも、他国の人からそう言われると嬉しい。母里さんと2人、帰国後は何としようと意気込んだ。
 手始めに、この鉄鋼産業遺産プロジェクトの内容を、北九州活性化協議会や八幡の街づくり団体に紹介したい。また、エピソードや写真の収集など市民レベルで可能なことから行いたい。また将来、市政に関与するチャンスを得たなら、高炉の保存のみならず、日本では北九州市でしか語れない鉄鋼博物館を近くに建設したい。隣接する筑豊炭鉱の歴史や朝鮮・中国からの強制連行など負の歴史も紹介する必要があるだろう。その設立運営は、行政がサポートしつつも、街づくり団体に任せてもいいのではないか。
 海外や他都市の成功事例は、必ずしも別の都市に当てはまるわけではない。この場合、日米の繁栄・衰退に1世代程度ずれがあるため、現在の北九州市民や当の企業・労働組合にしてみれば、「鉄鋼業の死」を意味する遺産(ヘリテージ)事業は当然摩擦を引き起こすだろう。それらの摩擦を最小限に留める知恵をピッツバーグの例から学び、後世の人々に北九州・八幡が日本の近代化に果たした役割を発信してゆきたいと思う。

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森浩明の論考

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Hiroaki Mori

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第13期

森 浩明

もり・ひろあき

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