論考

Thesis

イギリスの予算案を読む

今年5月に誕生した18年ぶりのイギリス労働党政権。「ロケットスタート」と言われる矢継ぎ早の改革断行で高支持率を維持している。しかし通貨統合や高まるインフレ圧力など難問は多い。ブレア政権の今後を予算案を通して考える。

「ビッグイシュー!」と叫びながら街頭で雑誌を売る奇妙なホームレスたちをロンドンでよく目にする。この『The Big Issue』という雑誌、「ホームレスの、ホームレスによる、ホームレスのための情報誌」が謳い文句で、記事も編集もホームレス、売るのもホームレスというユニークさがロンドンっ子に受けている。価格は80ペンス(約160円)で、その内45ペンスが販売しているホームレスの取り分となる。ホームレスの雑誌といってもばかにできない。見た目も記事も立派だ。何より路上生活者の視点が面白い。ロンドンはこんなホームレス文化が成り立つほどホームレスが多い。大多数は健康な若年層である。彼らは失業者で、余りにも長期間職業に就いていないため社会に適応できなくなっている。そんな若者(18~25歳)が25万人、低所得の母子家庭が100万世帯ある。因みにイギリスの人口は約5,800万人である。

 労働党新政権成立から2カ月経った7月2日の朝、ゴードン・ブラウン蔵相がダウニング街11番地の蔵相官邸前で記者会見に応じた。この日は予算案発表の日だった。
 「今回の予算案における我々の最重要課題は、雇用と教育である」。
 蔵相のスピーチは、自由競争の若い敗者たちを英国労働市場に復帰させる決意に満ちていた。「経済は知識を基盤としてグローバル化しつつある。ゆえに喫緊の政府の使命は時代に即応した職業技能をすべての人々に提供することである。」「そのために、今こそ戦略的で長期的な教育への投資を我々は必要としている」。

 労働党は今回の予算案に「ステークホルダー・デモクラシー(利害関係者の民主主義)」という基本哲学を据えている。昔アメリカのカウボーイたちは自分の土地の境界線上にステークと呼ぶ杭を打って所有権を主張した。転じてステークとは投資や利害関係者を表す意味となり、「社会の複雑な利害関係を調整する人物・組織」をステークホルダーと呼ぶようになった。労働党は、政府は競争の制限ではなく、競争で崩壊した企業と労働者の関係を租税や教育で再構築する役割、つまりステークホルダーの役割を果たすべきだと主張している。
 具体的には、増収に好転した財源から52億ポンド(約1兆4億円)を費やし、「Welfare to Work(職業への福祉)」という英国史上空前規模の職業訓練計画を発表した。対象は6カ月以上失業している25歳以下の若者と小さな子供を抱える片親である。プログラムでは、大学などの教育機関で1週16時間、最長75週間、実社会で通用する職業技能を学べる。
 しかし「飴と鞭」(イブニングスタンダード紙)と評されるように、政府は計画に参加しない対象者に、ペナルティーとして失業手当ての大幅カットを決定した。生活保護で遊んで暮らす無気力な失業者には厳格な態度で臨むという意思表示である。毎週、私が駅前で『The Big Issue』を買っている“Bee”と名乗る24歳の女性ホームレスに、今回の政府の決定について尋ねてみた。すると、ここでは書けないような言葉でブレア氏を罵った。
 政府は第2段として総額23億ポンドに上る包括的学校教育改革案も同時に発表し、片親支援のための保育所に教育バウチャー制度(クーポン券を親に与え、学校を選択させる制度。教育に市場原理を導入)を拡大すると述べた。さらに不足する児童福祉職員の養成に、国営宝くじの利潤を当てて、今後5年間で5万人の若者に職業訓練を施すという。

 以上の歳出を、政府は増税と民営化で捻出する。固定資産税を1%上げ2%に、煙草税、ガソリン税、酒税もそれぞれ19%、4%、19%に上げた。サッチャー元首相も手をつけなかったロンドン地下鉄公社の民営化やガス、電気等公益企業の政府所有株式の売却など、保守党以上の行革路線を進めている。他方、企業の社会的役割を重視し、法人税を大企業31%、中小企業21%と2%近く減税する。
 組閣直後に、イングランド銀行に金利の完全な調整権を付与したのも、ケインズ政策と訣別するという市場への意思表示である。首相は今後景気対策は金融政策、つまり中央銀行によるマネタリーベースの管理を中心にし、雇用のための財政出動は行わないと宣言している。政権発足後、イングランド銀行は早々と公定歩合を7%に引き上げたが、労働党が最も恐れるインフレは99年まで2.5%程度を予測している。経済成長は欧州最高で、今年は2.25%を記録しそうである。自然増収で予算案の財政再建計画は明るい。特に赤字の元凶、NHS(国民医療制度)の負債は今年3億5千万ポンド(700億円)削減する。財政全体で来年度は132億5千万ポンド(2兆6千億円)、99年度は55億ポンド(1兆1千億円)赤字削減し、GDPの2.5%以内の圧縮を目指す。

 予算はその国の青写真であり、予算書はその国が奈辺を目指すのかを示す哲学書といえる。今回の予算案を読んで感じることは、もし将来、歴史においてブレアリズムという言葉が認知されるならば、それは単なる競争社会でも、競争を規制する社会でもない、「競争力のために投資する社会」(P・マンデルソン下院議員の言葉)を目指す理念になるであろうということである。


(ひらしま こうじ。 1969年熊本生まれ。明治大学卒業後、松下政経塾に入塾。現在、ロンドンで労働党政権のマイノリティー政策を研究中。)

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