論考

Thesis

北朝鮮難民の可能性について

「北朝鮮から難民は発生するのか。」
 こんな疑問から今回の中国延辺朝鮮族自治州への調査旅行は始まった。

 延辺自治州は北朝鮮、ロシアの国境にはさまれた朝鮮族約200万人が暮らす中国東北部(旧満州)の民族自治州である。
 州都の延吉市には日本植民地時代の建物がそこかしこに残り、街中には中国語よりもハングルが氾濫する一種独特の雰囲気に包まれている。
 話す言葉も公式の場合を除き、皆ハングルだ。

 中国政府は少数民族問題にことの他神経質である。中国国内の小数民族は南方のミャオ族約2000万人をはじめ中国の辺境には多数存在すが、朝鮮族も東北部吉林省内に自治州や自治区をつくり暮らしている。
 彼らの多くは清末から日本植民地時代にかけて移り住み、その多くは抗日戦線に参加し、大戦後は朝鮮戦争などにも従軍している。
 中国政府もこの政府に協力的な朝鮮族を優遇することに意をくだいているようである。

 それは豆満江開発や経済特区の設定に始まり、延吉空港の国際空港化計画などもともと貧しいこの自治州への経済的てこ入れなどに端的に現れており、共産党幹部や人民解放軍の将官にも一定の割合で朝鮮族が登用されている。
 そんな中国政府の懐柔策のかいあってか朝鮮族自治州は中国国内の小数民族の中でももっとも安定した地域といわれている。

 しかし、この様な中国政府と朝鮮族との良好な関係は中国共産党が改革開放路線を選択してからのことであり、それ以前、すなわちプロレタリア文化大革命の時代は他の小数民族同様朝鮮族も激しい排斥の的になったのである。

 実際、迫害の激しさに耐え切れず延辺の朝鮮族の人々の何人かは国境線である豆満江を越えて北朝鮮に逃げ込むほどであった。
 私を北朝鮮との国境線に案内してくれた延辺科学技術大学の学生、李梅さんの父親も彼女が幼少の頃は紅衛兵の暴力から逃れ北朝鮮で亡命生活を送っていたのである。 李梅さんの話では、当時の朝鮮族にとっては国境の向こうの親戚をたよって河を渡るのはけして珍しいことではなかったとのことである。
 文革の食糧不足の時代、北朝鮮に亡命しないまでも延辺の朝鮮族の多くは北朝鮮の親戚から食べ物の援助を受けていたのである。

 まだ北朝鮮経済が今の様にどん底状態ではなかった頃の話であり、延辺の朝鮮族は文化大革命時代の辛く苦しい頃のことをけして忘れていないのである。
 それが北朝鮮に対する中国に住む朝鮮族の同情を呼んでいると言える。

 李梅さんもインタヴューした延辺科学技術大学の呉教授も北朝鮮を今だに文化大革命がつづいている国と表現している。

 李梅さんと行った北朝鮮国境地帯は、豆満江という小さな川が中朝両国を隔てる国境線になっている。
 中国側からも北朝鮮側からも浅瀬を歩いて渡ってこれるほどの川幅であり、地元の人に聞くと、実際渡ってきているそうである。
 そういう渡ってきて市場で魚の干物なんかを売り歩く老婆が延吉市内にも数多く見ることができる。

 延辺自治州の各都市を歩くと良くわかることだが、庶民の生活レベルでは、北朝鮮の延辺の朝鮮族自治州に対する経済依存はかなり大きなものがある。
 それはおそらく統計などにはでてこない、行商や親戚への援助といった形でこの小さな川を挟んだ国境地帯は互いに依存しあってきたのである。

 だから今、食糧危機や水害で北朝鮮が瀕死の病人になりつつあることも彼ら延辺の朝鮮族は知っている。
 延辺大学のある教授は、現在の厳しい国内統制の網をくぐり抜けて何人かの人々が北朝鮮から逃げてきており、延辺の親戚がかくまっているいるが、その実数は当局も延辺の朝鮮族コミュニティー自身も把握していない様だと、言っている。

 朝鮮族の聖地と言われる、白頭山は国境沿いの中国側にある。
 山頂に豊かな「白頭山天池」という美しい湖水をたたえた休火山である。
 今年にはいってから、延辺の町や村むらでこの白頭山が噴火するという噂がどこからともなく出回っている。村の古老などの中には本気この噂を信じる人も多い。

 何がおこるのかわからないが、今何かがおころうとしている。そんな朝鮮族の人々の不安が、「白頭山爆発」という噂の形をとって代弁しているように思える。

 北朝鮮の崩壊。誰も口にこそしないが、川の向こう側の出来事を固唾を飲んで見守っている様である。

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平島廣志の論考

Thesis

Koji Hirashima

松下政経塾 本館

第15期

平島 廣志

ひらしま・こうじ

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