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おかげさまの真っ只中、有難う、平常心~宗家研修を終えて~

 今月21日から2泊3日の日程で、京都市上京区の裏千家茶道会館にて実施された宗家研修に参加した。茶道を通して日本の伝統精神を学ぶとのコンセプトのもと、アソシエイトと呼ばれる我々1年生は、4月から週毎に敷地内の茶室で稽古を行なってきた。今回は一応その集大成である。一応と書いた訳は我々の悲惨なまでの出来の悪さにあることは言うまでも無い。なにしろ宗家研修自体は裏千家の総本山で執り行われるものであり、業躰(ぎょうてい)と呼ばれる全国でも数少ない資格をお持ちの先生方に直々にご指導頂くと言う非常に有り難い、いや普通なら有り得ないものである。リトルリーグに入りたての少年が、ヤンキースタジアムでジーターに手取り足取り守備を教えてもらうようなものだ。今回の宗家研修から私が学んだもの、と言うと極めておこがましいが、あえて言わせてもらえるなら、それはおかげさまの真っ只中、有難う、平常心の3つということになる。

 今年のゴールデンウィークに北鎌倉にある円覚寺の座禅合宿(正式には摂心という)に参加した。合宿を終え、片づけを行なっている最中、居士林と呼ばれる座禅堂の中に「おかげさまの真っ只中」という張り紙を見つけた。まさに我が意を得たりという瞬間とはこういうものをさすのだろうか。先代の偉い和尚さんの書かれたものらしい。政経塾にも五誓という塾生が守るべき五つの誓いがあるが、その一つに「感謝協力の事」というのがある。「いかなる人材が集うとも、和がなければ成果は得られない。常に感謝の心を抱いて互いに協力しあってこそ、信頼が培われ、真の発展も生まれてくる。」という趣旨である。円覚寺の「おかげさまの真っ只中」という文章は、いかにも気が利いている。耳にも小気味良く響く。政経塾の精神とも合い通じるものがある。私がすぐに共鳴したのも不思議ではない。茶道ではお菓子を頂く時やお茶を頂く時、同席の客に気遣いの一声を掛け、さらにお茶では点ててくれた主人に一礼を行なった後、お菓子やお茶を頂けることそれ自身に感謝を表現する。生きて健康で飲食できること、それ自身に感謝を表明するのである。まさに「おかげさまの真っ只中」であり「感謝協力の事」の精神である。日ごろ感謝の気持ちを忘れがちな私であるが、世の為、人の為としゃっちょこばって志を語っても、協力してくれる理解者、仲間がいなければ一人だけで為し得る事などたかが知れている。謙虚な気持ちを忘れずにいたいものである。

 文中に「アリガトウ」と言う言葉を用いる時、私は「有難う」と書くよう努めている。これもやはり5月の座禅合宿での事だが、講話の中で和尚さんがおっしゃっておられたお話に、「ありがたい、と言う言葉は有ることが難しいということから来ている。」という趣旨のものがあった。川端康成の『掌の小説』にある「有難う」という秀逸な短編の影響も多少あるかもしれないが、以来私は「ありがとう」のたおやかさよりも、「有難う」といういささか古風で、いかつい趣の方を好むこととなった。お茶の精神を言い表す言葉としては、最も有名なものの一つに、井伊直弼が述べた「一期一会」が挙げられるだろう。この言葉は「全ての客を一生に一度しか出会いの無いものとして、悔いの無いようにもてなせ。」と言う教えであるとされる。つまりだれかとの出会いは「有難い」ものなのである。今回の研修で、先生方と夕食をご一緒してお酒も交えながらざっくばらんなご意見を伺えたことは、茶道を身近なものに感じさせてくれたという点で非常に貴重な経験となった。しかし、最終日となった翌日の稽古で先生の発したさりげない一言が、私を不意に寂しくさせることになる。「昨日のように君達全員がそろって私とお酒を飲むということはもう無いだろうし、君の点ててくれたお茶を私が飲むということも恐らくもう無いだろう。」最終日は来年3月に佐賀に帰る事になる同期の塾生と先生とにそれぞれ一服ずつお茶を点てたのだが、随分感傷的な気持ちにさせられたものである。先に述べた5月の円覚寺での合宿では、座禅を組みながら友人のことを次々と思い出し、私はその「有り難さ」に不覚にも涙を流してしまった。私は昨年8月末に会社を辞めた後、一旦は大学時代以来10年近く交友関係を築いてきた東京・神奈川の土地を離れ、殆ど帰省することも無かった実家の広島に戻っていた。政経塾の試験結果が判っていたわけでもなく、10月下旬に最終合格が決まるまでの約2ヶ月の間、私は極めて不安定な状態にあった。そんな時に私を支えたのは友人達からの連絡であった。携帯電話やEメールがある現代に生きていることがどれだけ有難かったことか、いやそれ以上に友人の存在が有難かった。実家の庭に面した日当たりの良い和室は私のお気に入りの場所であった。ある日の午後、日向ぼっこをしながらまぶたに柔らかい日の光を感じながらやはり友人のことを思った。私は泣いていた。5月の円覚寺での座禅での落涙は、再びそれらの友人に会えた嬉しさ、彼らと言う友人を持つ自分の有り難さが私にそうさせたものである。

 しかし今回の研修は、私にそうした感傷に浸ることの無いある種の峻厳さを求めているようである。お家元がお話をされた茶室の掛け軸に「平常心是道」とあった。江戸時代のとある剣豪がたどりついた境地は「とらわれのない心」というものだったという話を聞いた事がある。心の平静さを保つことこそ究極の奥義だと言う訳である。何かの道を極めようとするもの、いやしくもリーダーを志すものは自らの感情もコントロールできなければならない。すぐに取り乱してしまうリーダーには、どんな時でも正しい判断或いは断固とした決断が出来るとも思えないから仲間としては付いて行きたくないというのが人情であろう。マックスウェーバーも政治家の資質の一つとして「精神を集中して冷静さを失わず、現実をあるがままに受けとめる能力」との表現で「冷静な判断力」を挙げている。今私に最も欠けているもの、それが平常心なのではあるまいか。

 これは全般的に言えることだが、禅僧がお茶を中国より日本に持ち帰ってきたと言う事もあり、茶の精神は禅と重なり合うことが多く、円覚寺での経験は非常に役に立った。やはり日本の伝統精神を形作っているものは互いに一脈通じ合っている。先生(業躰)のお話も禅寺の老師の講話をお聞きしているような精神世界にまで立ち入ったものも多く、非常に刺激的であった。やはり道と名の付く物は奥が深い。今回の宗家研修で学んだことをまとめるなら、「周囲への感謝の心を忘れず、足るを知り、有難い幸せを思い、どんな時にも泰然自若として平常心を失わない。所謂いい人であり、かつ頼り甲斐のある頼もしい人物。大人然とした人物。」というのが理想のリーダー像となる。となれば私の進んで行く道は極めて厳しいものにならざるを得ない。修身あるのみである。

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