論考

Thesis

米国で見た貧困と荒廃

  • 3人に一人が貧困層
    • 米国ピッツバ-グ市に暮らして3ヶ月になる。私の滞在しているアパ-トは、ダウンタウンに近く、周囲には昼間からブラブラしている人も多い。また、研修先への移動はバスを利用しているが、本当に汚い身なりの人や若すぎる母子の姿を毎日見かける。そのたびに、一億総中流の日本とは明らかに異なる米国の貧しさを感じていた。
       この問題意識を更にハッキリさせる記事が、6月29日付の地元ピッツバ-グ・ポストガゼット紙に掲載された。ピッツバ-グ大学の社会都市研究センタ-が行った調査結果を伝える記事で、同市の18才~64才の黒人の貧困率(35.2%)、25才~54才の黒人男性の失業率(30.9%)、同世代の白人失業率(12.9%)と黒人の差が全米50大都市のなかで最大と報じられていた。
       貧困か否かの境は連邦政府の基準による。例えば、年間所得が65才以上の一人暮しは6,729ドル、65才以下の一人暮しでは7,299ドル、65才以下の2人家族は9,137ドル、4人家族では14,335ドルを下回ると貧困と見なされる。
       商務省統計局の資料によると、1992年に全米で3,690万人(全体の14.5%)が貧困と見なされている。内訳は白人2,450万人、黒人1,060万人、ヒスパニック670万人となる。各人種に占める貧困層の割合は、白人が11.6%なのに対し、黒人は33.3%、ピスパニックは29.3%と約3倍に跳ね上がる。
  • 黒人差別の歴史
    • 先の記事では、1990年代の黒人失業者は80年代前半の不景気が原因という考えを短期的な見方と否定している。その前から既に黒人は貧しかったからだ。そこで、簡単に同地域への黒人移住の流れを追ってみた。
       奴隷解放をかけた1861年~65年の南北戦争以後も、ピッツバ-グ地域は細々としか黒人を受け入れなかった。当時「米国のバ-ミンガム」と称され、地域経済を支えた製造業において、白人の工場経営者も労働組合も人種偏見から黒人雇用を認めず、黒人は数の少ない非製造業にしか従事できなかったからだ。
       転機は1914年に始まる。第1次大戦開始は、鉄鋼需要の急増と人手不足を招いた。翌年、米国南部の綿花業が害虫で大凶作となり、黒人労働力の北上が加速。1920年代にそれまで主力だったヨ-ロッパからの移民が途絶えたり、経営者が白人労組のスト破り策として黒人を受け入れたことなど、差別意識の改革とは関係ない種々の要因が重なって1915年~30年に、ピッツバ-グでは黒人の大流入が起こった。
       その一方、同地域の黒人は労働組合に加入できなかったり、賃金格差をつけられるなどの差別を1950年代になっても受け続けた。60年代のスラム一掃政策も、黒人から職住の場を奪った。また、脱工業化の波はブル-カラ-の仕事を減らし、教育の機会に恵まれない黒人の雇用をますます厳しくしたという。(ペンシルバニア州歴史美術委員会「アレゲニ-郡における黒人の歴史的居住調査」より)
  • ロ-レンスビルの現状
    • もちろん、黒人が全て貧しいわけでも、人種的に能力が劣るわけでもない。育つ環境や雇用機会の不平等が、貧しさを導くのだろう。現在研修しているロ-レンスビル地域開発協議会(LDC)は、ダウンタウンのすぐ外側に位置し、荒廃した同地区の経済的・社会的な再生を目指すNPOである。ナシカ事務局長(40才)は地元で生まれ育った一人なので、同地区の昔と今を尋ねてみた。
       彼女が子供の頃、この街は製鉄労働者で活気にあふれていたそうだ。労働者は始め工場に近い川沿いの安くて劣悪な家に住み、お金が貯まると環境の良い丘の上に移る流れがあった。しかし、製鉄業が衰退するにつれて、そのリズムが崩れ、空き家が目立つようになった。今度はそこにスラム一掃で追い出された貧困層や他の低所得者が移り住んだ。
       一度環境が悪化すれは、次第に中間層は郊外に移り、若者やお年寄りなど貧しい人々が取り残される形で地域が再形成された。背景の異なる新住民同士の付き合いは少ない。貧しさは教育の機会を制限し、仕事に就けなかったり、生活能力がないまま子供を産んで一人で育てたり、家庭内暴力・麻薬・売春を行ったりと、歯止めのない悪循環が始まる。
       LDCの実施した調査による、同地区の住民11,845人のうち、一世帯当たりの平均年収は19,362ドルで市平均の24,067ドルを大きく下回る。また、17.6%の人は貧困ラインを下回り、そのうち57%が母子家庭だ。現金・食糧・医療のいずれかの生活補助を受けている人は26.4%もいる。
  • 地道な地域活動
    • これらの絶望的な状況に対して打つ手はあるのか、ナシカ事務局長に聞いた。アレゲニ-郡や地域の教会や病院が行っている高齢者福祉はある程度評価できる。しかし、公立と私立学校の教育環境の違いや、地域と交流の薄いシングルマザ-の問題、空き家を麻薬の売買や使用の場にするなど、解決の糸口さえ見つからないものも多いと言う。
       9年前にLDCを設立した彼女の描いた戦略は、雇用拡大と住宅整備の2本柱である。同地区をペンシルバニア州からエンタ-プライズゾ-ン(税控除や規制緩和などの優遇措置を得る地区)の指定を受けさせて、ビジネスを活性化させ雇用を増やす。もう一つは、中間所得層を地区に呼び戻すための住宅整備と改善事業を行うことだ。LDC事務所の近くにあった老朽化した空き家が壊わされ、12戸の新しい住宅が都市再開発公社(市の外郭団体)の協力を得て整備されている。
       荒廃し貧しい状態を、安心や豊かさに変える日はいつか分からない。難問に立ち向かう彼女の姿に私も大いに勇気づけられた。米国の深刻で複雑な地域問題に比べれば、経済問題が中心の日本の地方都市の再生など直ぐ片付けられそうな気さえするからだ。

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森浩明の論考

Thesis

Hiroaki Mori

松下政経塾 本館

第13期

森 浩明

もり・ひろあき

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