論考

Thesis

政治の限界

政治がもはや機能していない。1889年に代議制を採用して以来、これほどまでに選挙民の関心が低下し、思考が停止したことはなかったであろう。今となっては民主主義というシステムが果たして機能しうる正しいシステムなのかどうかさえ怪しくなっている。

 自由民権運動によって命がけで選挙権を獲得した当時の市民は、まさに「命」という代償を支払う覚悟で権利を勝ち取ったのである。政治をいかに真剣に考えて投票するか、想像に難くないだろう。ところが、20歳を超えると自動的に選挙権を獲得できる現在の市民の意識の低さはいったい何か。人間とは無条件にものを与えられると、その重要性を認識できない動物のようである。

 政治家は建前と本音を巧みに使い分ける。ポスター、選挙公報ビラなどを見ると、如何にも素晴らしい言葉が踊っている。「愛する郷土のために」「若さで政治を改革する」「市民とともに歩む」・・・・民主主義である以上、多数の市民の票を獲得しなければならない。政治家は腰を低くして市民に接し、媚びへつらい、微笑みかけ、やさしい歯の浮くような言葉をかけ、票を獲得する。しかし国民は理解している。これらが建前であることを。ポスターに踊る言葉も、接する態度も。

 民主主義の限界はここにあろう。そして民主主義における政治家の役割の限界もここにあろう。政治家は決して市民の気に障る言葉を発することはできない。落選するからである。正しい人間が選ばれるとは限らない。正しいことを公の場で話せない力学が働く。政治における建前と本音は完全にシステム化されてしまった。そして国民・政治家の双方がこれを理解している。茶番としか言いようがない。

 政治家はシステム論に終始する。制度改革、構造改革、法律改正・・・。全てシステムである。人間とはシステムの中で組み込まれるだけの、もはや機械の部品なのであろうか。なぜどの政治家も発言しないのであろう。「今の国会の議論はおかしい。重箱の隅をつつくようなスキャンダルを野党が追及し、肝心の国家ビジョンや根本的な議題がまったく議論されていない。そもそも、日本の問題を経済に求めるのはおかしい。国家、企業、あらゆる組織の根本は人である。個人の力の集積が国家の力である。個人の力とは、金でも地位でも名誉でもなく、精神力である。日本人のモラル・精神力・創造力が回復しない限り日本再生はあり得ない。」と。

 政治家自身が、現在の日本の問題点の本質を理解していない。経済でもない。政治でもない。文化である。日本の文化が失われていることが問題なのである。アイデンティティーがないのである。自分たちが一体何者かわかっていないのである。だから自分たちに自信がないのである。政治家はそこを救わなければいけない。政策ばかり頭に詰め込んで、頭でっかちになっても仕方がない。

 もっと現実を見るべきである。もはや国民は政治家に期待していない。政治家の話を多くの国民はもう聞かない。ワイドショーは政治家を歪めて報道する。偏った報道によって政治というものを汚れた商売のように演出する。これが現実である。マスコミ(ワイドショー・週刊誌)によって小泉首相は作られ、田中外相は作られ、マスコミによって両者は葬り去られようとしている。これが現実なのである。マスコミにも登場しない、若くもない、ルックスもよくない、こうした政治家にもはや国民は期待していないのである。こうした恐ろしい状況が実際に起こっている。しかし悲しいかなこれが現実である。多くの国会議員はマスコミへの登場を狙ってパフォーマンスに終始する。国会での議論がいっそう本質から遠ざかる。

 しかし、政治とは政治家だけが行うものであろうか。世直しは政治家だけが行うものであろうか。西郷隆盛、坂本竜馬、大久保利通は政治家であったのか。彼らは決して国民から選ばれた議員ではなかった。また今で言う知事や高級官僚でもなかった。本当の意味で何のしがらみもない在野の国士であった。

 政治とはもっと大きな範疇で捕らえなければならない。いわゆる政治家が行う政治は先述のように限界に達している。むしろ、今注目されるべきは、究極までに政治に対して心を閉ざしてしまった国民が何のアレルギーもなくアクセスできる手段である。子供からお年寄りまで万人がアクセスできる手段はエンターテイメントである。

 本当にすばらしいメッセージが込められ、見た後に感動し人生観に影響を与えるような映画・アニメ・音楽はエンターテイメントである。現在の日本にはそんなものはない。下らない、品のない、人を馬鹿にしたテレビ・アニメがマスコミを踊っている。バラエティーである。しかし、私は「千と千尋の神隠し」を見て感動した。まさに、ここで言うエンターテイメントである。大人から子供まで見た人間は人生を考えるきっかけを得たであろう。日本の自然観を見直すきっかけを得たであろう。どんな人間もアレルギーを感じることなく。

 現代日本において、政治家ではこんなことはできない。私は、正直に現在の問題を分析しているだけである。政治家を目指す一人間として、政治の限界も理解しておかなくてはならない。しかし、大きな意味での政治・世直しは多様である。私が一年半関わっている「J-ART」は、数年のうちに日本人に感動と真実を与える本当のエンターテイメント集団になっているであろう。

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二之湯武史の論考

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Takeshi Ninoyu

松下政経塾 本館

第21期

二之湯 武史

にのゆ・たけし

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