論考

Thesis

防衛庁の昇格論議を振り返る その3

今月のレポートでは、第一臨調の結末と池田内閣が防衛庁を省に昇格させると閣議決定を行なった過程を振り返る。

 黒金官房長官が昭和39年3月28日に次のように語っている「防衛庁の昇格問題については、自民党側から矢の催促なので、政府としては来週中には法案の要綱をまとめたい※1。」。そして、その2日後の30日にも「4月1日に防衛庁が改正案の要綱をまとめるので、直ちに関係次官会議にはかる予定である※2。」と語り、いよいよ防衛庁の省への昇格が現実味を帯びてきていた。

 しかし、その4月1日に第一臨調の態度が変化したことによって状況が一変する。第一臨調が、防衛庁昇格問題については、国民の生の声には昇格を望む声はまったく無い、との理由で消極的な態度に変化したのである。この根拠となったのは、同調査会が、全国で開いた地方懇談会や投書などで昇格問題に触れるものが無かったことであった。これに対して、政府は防衛庁がまとめた昇格案の要綱を第一臨調に示し、14日までの期限付きで調査会の回答を求めることとなったのである※3。

 一方で、政府、自民党は同日の4月1日において防衛庁の昇格問題について協議し「防衛庁の省昇格法案」を4月中旬をメドにまとめることで意見の一致を見せているのである※4。結局、第一臨調は、「防衛庁の省昇格は内閣の行政機構全般との深い関連があり、いまここでこの問題だけを切放して審議する緊急性は認められない※5。」との理由において消極的な決定を下した。この回答では、防衛庁の省昇格に対してはっきりとした是非の判断を行っておらず、ここでも昇格問題は、曖昧な扱われ方をしているようにも思えてならない。

 そして、政府もまた、自民党国防部会の強い突き上げによって4月15日までに法案を提出する、と可能かどうか予測もつかない時点において、加えて第一臨調の回答を待たずに約束しているのである。どこまで行ってもいい加減な対応を取っているとしか形容の仕様がない。

 また防衛庁は、第一臨調が昇格に対して緊急性が認められないと発表した、同日に防衛庁を省に昇格させるための防衛庁設置法等改正案の要綱を発表したのである。同要綱は内閣官房が中心になってまとめた最終的なものであり、防衛庁では、その発表の翌日には早々に自民党政調国防部会、内閣部会の合同会議においてこれを説明した。そして、特に黒金官房長官の意向として“これを一応、政府案と考えて良い”との旨を伝えたので、合同会議はこれを了承した。この結果として同改正法案が正式に政府案として提出されれば政調審議会、総務会で了承し、閣議決定に持ち込むだけとなった。

 この要綱の骨子となるのは、以下の通りであった。(1) 名称は、防衛省にする。(2) 内閣総理大臣は自衛隊の指揮権(防衛出動、治安出動などについて)を有する。(3) これ以外の自衛隊の行動(防衛、治安出動の待機命令、海上警備行動)については指揮権の行使を防衛大臣に委託する※6。そして、これを防衛庁が自民党政調会に提示した。

 自民党政調会は直ちに国防部会を中心に同改正案の検討を始めたが、国会提出については、党首脳部と政府側との話し合いで、国会対策上の観点から党側が主体となって検討することになっており、また、政府部内の消極論に加えて党内にも「提出して審議未了になるよりはむしろ今国会提出は見送るべきである※7。」との慎重論も存在し、更に、第一臨調も消極的見解を示したことによって防衛庁を省に昇格させる“防衛省法案”は国会に提出されないこととなった。

 だが、このことに猛反発したのが自民党政調国防部会の増原恵吉(内務省出身、初代防衛庁長官※8)部会長である。増原部会長は、三木政調会長に対し「防衛庁の昇格法案が国会に提出されないのは遺憾であり、これ以上国防部会としての職責を果たすことはできない。」として同部会の48人全員の辞表を提出した。この辞表に対して三木政調会長は「防衛庁昇格問題の取扱はなお検討している。」として辞表を保留した※9。しかし、国防部会は、党執行部に法案提出の具体的な誠意を見せることを要求したのである。この強引とも言える、国防部会の行動は、遂に昇格問題始まって以来の閣議決定を引き出すという快挙を成し遂げるのである。

 政府は、閣議において防衛庁を省に昇格させるための「防衛庁設置法および自衛隊法改正案」を決定した。しかし、同法案を直ちに国会には提出せず、提出時期に関しては自民党国会対策委員会、衆院内閣委員会と打ち合わせた上で決定することとした※10。つまり、この閣議決定の目的は、国防部会の面目を保ち、閣議決定をすることによって同部会の総辞表の矛を納めさせることにあり、当時、日韓問題などの政治的難問題を抱えていた池田内閣が昇格問題を真剣に検討した結果として閣議決定を行ったものとは考え難い。

 事実、福田篤泰防衛庁長官は、国防部会において昇格法案について内閣委員会で質問があれば「提出しない。」と答弁するつもりだ、と報告していた。そして、閣議決定を獲得した国防部会もこの報告に対した「了承は出来ない。しかし内閣委員会の混乱を防ぐためにこの問題については発言しない。」として、暗黙の了承を与えることとしたのである※11。これらの発言は、防衛庁の省昇格法案の国会提出を政府、自民党が事実上断念していることを表していることに他ならなかった。

 そして、それらの発言の翌日、内閣委員会で社会党の石橋政嗣氏は「防衛庁は、今国会に省昇格法案を提出する考えがあるのか。」と質問した。それに対して、福田長官は「今国会に提出することは困難である。」と答えたのである※12。この僅かなやり取りで防衛庁昇格法案の国会提出は、またも、見送られることとなった。国防族、防衛官僚の長きに渡ったこの一連の争議は、結果として防衛庁設置法及び自衛隊法改正案可決により、予備自衛官5,000人、自衛官20,171人の増員などを獲得するに終わったのである。


※ 1 『朝日新聞』昭和39年3月29日
※ 2 『朝日新聞』昭和39年3月30日
※ 3 『朝日新聞』昭和39年4月1・4日
※ 4 『朝日新聞』昭和39年4月1日
※ 5 『朝日新聞』昭和39年4月14日
※ 6 『朝日新聞』昭和39年4月14・15日
※ 7 『朝日新聞』昭和39年4月17日
※ 8 正確には、警察予備隊本部長官であるが、3回の名称変更の後、防衛庁長官となった役職であるので語弊はないと思われる。加えて、防衛年鑑を発行している防衛年鑑刊行会においても初代防衛庁長官でカウントされている。
※ 9 『朝日新聞』昭和39年6月5日
※ 10 『朝日新聞』昭和39年6月12日
※ 11 『朝日新聞』昭和39年6月19日
※ 12 『朝日新聞』昭和39年6月20日

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山本朋広の論考

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Tomohiro Yamamoto

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山本 朋広

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