人には、それぞれ違った名前があり、年齢も違えば仕事も違う。しかし人間である時に必ず二つの共通点を持っています。それは身体と心です。そしてこの身体と心をパーソナリティ=人格と呼ぶわけです。
私たちの肉体というものは、例えば頭とか、首とか胴体とかの部分に還元して考えることができます。さらにそれを還元していけば、4つの基本的なものに集約されるのです。それは固体、液体、気体そして熱であります。これらの4つのエレメント=元素が、互いに活動する、その活動そのものを「生命」と呼ぶわけです。
その人間としての人格をもった存在以外に6つの要素(=ファカルティ)をもったものがあります。ファカルティはこの場合、感覚とか感覚器官と訳した方がいいと思いますが、それが6つある。目、耳、鼻、舌、そして触覚をつかさどるのが身体(=ボディ)、つまりこれが普通の五感ですが、それを含めて意識の流れを感じるようなものがあわせて全部で6つあります。肉体が存在しなければ、その感覚は存在しないし、感覚が存在しなければ肉体も存在しないという関係にあります。
人格はボディとマインド、肉体と精神からなっていますが、肉体も精神も個人一人一人の力によって、覚醒=目覚めさせることができるのです。サルボダヤ運動の目的というのは一人一人の肉体と精神を目覚めさせること、つまり覚醒させることにあります。肉体を覚醒させるためには、十分な栄養が必要です。多すぎてもいけないし、少なすぎても病気になってしまう。栄養の適切さというのは、最初から中庸というのがあって、覚醒のためには中庸が必要です。
精神の目覚め方についてお話をしますと、子どもの精神構造、子どもの心の状態というものをみると、非常に純粋で平和です。食べ物が足りていて、健康な子どもであれば、最初から純粋で平和に心をたもっている。ところが子どもが段々大人になっていく、成長していく過程で、もともとは純粋で平和だった心が段々複雑なものになっていきます。
肉体について、われわれは毎日きれいにしたり、洗ったり、着飾ったり、化粧をしたりということで、きれいに見せよう、印象的に見せようということで、非常に多くの注意を払っています。
心の状態をみると、いろいろな名前や肩書がついたり、役割や仕事とかいったいろいろな条件がついてきて、段々複雑になってきます。その複雑さのなかから、人間が段々と抜け出せなくなってきてしまうわけです。そして不幸になり、不安になり、そしてある人は極端な場合、自殺までしてしまう。
ここからが問題です。人は何を心の中に、精神の中に貯めてきたのでしょうか。まず思い付くのが情報です。朝から晩まで、情報漬けになっている。世界で何が起こったのか、ラジオのニュース、新聞など、目や耳から入ってくる。食べるものも情報です。心の中には確実に情報が蓄積されていきます。
情報は何か私たちが危機に直面したときに、私たちを救済してくれるものではありません。科学技術、あるいはどんな知識でもいいのですが、そういうものをただ単に持っているだけではだめなのです。それを内面化し、それを高度に高めて、インテレクト=知性の段階に高めていくことが必要です。
心の中に蓄積するものとしては、欲求=ディザイアというものがあります。それは物やお金に対しての欲求、あるいは自分の意見や自分の役割やアイデンティティがこうあってほしいというような欲求。いろんなレベルの欲求がありますけれども、そういう欲求が蓄積し、それがお互いに混じりあって頭の中にどんどん貯っていく。
欲求がどんどんと蓄積していくと、その中には悪意とか邪悪な心が混ざっているので、それがどうしても混ざって蓄積していってしまう。ところがこのような欲求や邪悪な精神が、いくら蓄積されたからといって、われわれの救済にはならないし、真理とは何かとか、啓示とかに到達するのには全然役に立たないのです。欲求や邪悪な心によってわれわれの置かれる立場には「無知=イグノランス」という状態が訪れます。こういった欲求や邪悪な心や無知から抜け出すためには、私たち自身が私たち自身の心をしっかりと見つめる必要があるのです。
自分の心をいつも見つめる必要があります。心について自覚をしている必要があるのです。何を考えているのか、何を食べているのか、何を思っているのか、どんな人とあっているのかを、常に自分の中で自覚的に見つめていく必要があるのです。そうするとそれに応じて、例えばどんな時に競争心が起こってくるかとか、あるいはどんな時に無知な状態が起こってくるのかとかというのを、自分で把握していることができるようになります。
人と会うときにも、この人というのは人という存在であって、つまり自分と同じように精神と肉体の複合体であると思ってみれば、自ずから慈悲の心とか、優しい愛情とか、そういうものをもって接することもできるという立場に立てるようになるのです。そういう立場に立って人と接していくと、今度は自分自身の存在というものも段々と明らかになっていきます。つまり自分がいろんなアイデンティティとかをもっているけれども、それは宇宙の一部であるという存在であり、ある時、植物の世界と決して対立するものではなくて、植物の世界も自分も同じ宇宙の一部なんだという認識をもつことができるようになります。
(京都政経塾の講座から。3回にわたって連載しました、アリヤラトネさんの講話はこれで終了します)
<Dr. A.T.Ariyaratne(アリアラトネ博士) 略歴> ※いずれも執筆当時
1931年スリランカ生まれ。「サルボダヤ運動」と呼ばれるスリランカ農村開発運動の創始者。アジアのノーベル賞といわれる「マグサイサイ賞」授賞。スリランカでは大統領と同じくらいの支持を得る。人間の精神の「目覚め」を説き続けている。



















