その瞬間、気が付いたのです。物事というのは変わるんだ、もし私が生まれてなかったら、もともとこのバッグと会うこともなかったわけだから。
物事は変わっていくのだというのを理解した瞬間に、大使館に電話をかけてパスポートを再発行してもらい、コロンボに帰る航空券を手配して、ことなきをえたわけです。
ある瞬間に、物事は変わっていくのだということを忘れて、ある一つの局面にあまりに執着しすぎると、そこから苦しみが生まれてきます。
そしてその苦しみは、物事は変わるのだという正しい理解を忘れてしまう、知らなくなってしまう、いうならば無知な状態になってしまうということなのです。
物事は変わっていくのだ、何事も永遠に続かないんだということが正しい理解という状態で、そうでない状態が無知という状態です。
諸行無常という正しい理解を持っているということが、正しい行動の基本になっていくのです。そうすると怒りに振り回されることもなければ、自己中心的な考えになることもなく、考えというものが、どんどん、どんどん純粋なものになっていけるです。
物に執着する度合が低くなっていけばいくほど、使っている言葉も、怒ったり中傷したりする言葉ではなくて、良い言葉、きれいな言葉になっていきます。
そうなってくると、行いも良くなってきます。正しい行いになってくるのです。そうなってくると、人を殺したり、盗んだり、悪いことをしたりというようなことをしなくなくなります。酔っぱらったりもしなくなります。
職業選択も正しい方向に向かい、働くにしても、原爆をつくったり、兵器をつくったり、売春をしたり、犯罪行為にかかわっているような仕事をしなくなってきます。正しい職業というものを選ぶようになってくるのです。
正しい努力というのは4つあります。
1つは、邪悪な心が自分の中に起こったらそれから逃れること。2つめは愛の気持ちが起こったらそれを大切にとっておく。3番目は邪悪な考えが浮かんだら、それをストップする。4つめ、良い考えが浮かんだらそれを採用する。この正しい努力というのは、必ずしも生産性をあげることではないのです。
そういう努力を積み重ねていくと、何が起こっているのか、何を考えているのかを努力しないで、たちどころに自分で把握できるようになる、把握できるようになります。それが本当の意味での「気づき」であり「目覚め」なのです。
その時に、非常に高いレベルでの意識の集中というものが起こります。これが「八正道」といわれるものなのです。
八正道とは最初が諸行無常、万物流転の原則をちゃんと理解しているということ、あまり執着をしすぎると苦しみが訪れるという原則。つまり無我の原則。自我というものがあると思いがちですが、それは錯覚で本当はエゴというものはなく、無我なのです。
2つめが正しい考え。3つめが正しい言葉。正しい行い、正しい職業(生計)。正しい努力。正しい気づき(意識)、そして正しい意識の集中。
最初のものが心、精神に関するもの。3番目から6番目までが肉体、身体に関係しているもの。この3番目から4番目の肉体に関する部分というのが、修行する場合の一番キーになるところです。最後2つが、集中をするということにつながってきます。最初の二つが知恵をそだてるのに役立ち、言葉の修行とか行いの修行という修行の具体的な中身です。
こういう気づきや発想を得るために、山に篭って変な修行をする必要はありません。
私たちが日常生活のなかでそういう心のあり方を持つことによって、気づき、覚醒することができ、しかも同時に社会を変えることが可能になるわけです。
「気づき」を得ていく上で大事なことは、誰か他の人がやるまで待とうというのではなくて、まず自分から始めよう、自分に何ができるのかという意識をもつことが一番大切なことです。
(京都政経塾の講座から)
<Dr. A.T.Ariyaratne(アリアラトネ博士) 略歴> ※いずれも執筆当時
1931年スリランカ生まれ。「サルボダヤ運動」と呼ばれるスリランカ農村開発運動の創始者。アジアのノーベル賞といわれる「マグサイサイ賞」授賞。スリランカでは大統領と同じくらいの支持を得る。人間の精神の「目覚め」を説き続けている。



















