タイトルやメニューをスキップして、内容を表示

松下政経塾




サイトマップ

更新メールニュース登録

登録

1992年度 松下政経塾報1992年度 松下政経塾報

1993年3月

志を貫き塾経営者から茅ヶ崎市議

村井嘉浩/松下政経塾第13期生
 村井塾生(13期生)は「地方議員の24時間」密着取材の研修で、服部信明・神奈川県茅ヶ崎市議会議員(31)の事務所を訪れた。

服部信明氏(31)は、6年前神奈川県茅ヶ崎市議会議員に25歳で初当選し、現在2期目。「とにかく若い!」というのが最初の印象だ。

 彼の最初の夢は、父親の影響もあり、学校の先生になることだった。大学では理学を専攻し、4年生になる直前までその夢を追い続けていた。

 一生懸命勉強に追われながら、ふと、まわりを見回すと、大半の友人が全く勉強もせずただ遊んでいる姿が目につく。「こうやって勉強しても、卒業すればモラトリアムとして大学を過ごした彼らと同じところからスタートするのか?」と大学生活の意義に疑問を持ち始めた。

 教授から「大学はそれでいいんだよ」といわれた瞬間に”大学卒”という肩書きを捨て、実社会に飛び出すことを決意し、すぐ実行に移した。

「自分の幼い頃からの夢を実現しながら働くには学習塾しかない」と考え、さっそく準備にとりかかる。もちろん、金などあるわけもなく、両親の住んでいる家を半分借りて机やイスなどの事務用品などを、いろいろなところからかき集めてスタートした。

塾の基本方針は、“もうけより、学習塾を必要としている子供達のために!”と定め1クラス8人以内の少人数制で生徒の能力に徹底的に応じることにした。

7年たった現在でも全生徒数36人、講師8人で、毎月の月謝は、講師の給料や諸経費で消えてしまい政治資金には全くなりえない。しかし、開塾当初の理念を一貫して貫くために、これ以上規模を大きくするつもりはない。

学習塾を経営した当初は、無我夢中でそれ以外のことは何も考えられなかった。塾の運営が軌道に乗るにつれて、教育行政の問題点を考える機会が多くなった。

「自分が子供の頃には数えるほどしかいなかった塾通いの子供の数が、いつの間にかたいへん多くなっている。日本の将来を託す子供の教育が、それでいいのだろうか?」。

思い悩んだ結果、自分のできる範囲内で子供たちに最も貢献できる手段は政治家であるという結論に達した。

昭和62年4月、市会議員候補として立候補、地盤・看板・カバンなしで2700票を獲得し、初当選した。彼のモットーは「若い発想を市政に反映させる」。今日も駅頭で、また議会で走り回っている。(村井・記)

1993年3月執筆
ページトップへ