
自ら研修を組み立てる実践課程に入った32期生4名の、テーマとその思いを紹介します。
人々の「当たり前」の日常を守りたいというのが私の志です。その背景には 1. 同時多発テロで身近な人を亡くした経験 2. 中越沖地震の震災ボランティアの経験 3. 母の急死がありました。身近な人でさえ守れなかった後悔の念から、他の人々に私と同じ思いはさせたくないと思っております。
政経塾の実践課程においてテーマにしているのは「防災」です。「災害は忘れた頃にやってくる」という寺田寅彦さんの有名な言葉がありますが、昨今では「災害は忘れる前にやってくる」というのが現状です。現在は防災士研修センターにおいて、「ジュニア防災検定」という小中学校向けの検定の立ち上げに参画し防災教育の普及に勤しんでいます。
米国東海岸の街、フィラデルフィア。その郊外にある自宅から車を20分ほど走らせる。のどかな住宅地を抜け、林を抜けるとふと広い空間が現れる。一面に畑と野原が広がっている。そこから更に数分車を走らせると、右手に高いフェンスに囲まれた巨大な建物が幾つも見えてくる。その建物の傍には、小さな建屋が点在しており、よく見るとその側面には護衛艦に装備されているレーダーが据え付けてある。ふと左手を見ると野原の真ん中から、護衛艦の上の部分がひょっこり顔を覗かせている。それこそが私の学び舎、Combat System Engineering Development Site(CSEDS)である。
そう。ここはMoorestown。世界最強と言われる防空システム「イージス・システム」の研究・開発の中心地である。海上自衛官時代、私は1年間、米海軍の研究施設であるCSEDSで学ぶ機会を得、その後、研究開発部隊で1年半勤務した。この2年半の間に私が現場で垣間見たのは、日米の軍事技術力とそれを育む各種の基盤の圧倒的な格差、政治的・社会的制約によって苦しみ、もがき、音を立て崩れる日本の防衛生産・技術基盤の悲惨な姿であった。艦艇要員の自衛官として現場に身を置いた後、防衛生産・技術基盤に直接的に関わった2年半に及ぶ経験が、同基盤に対する思いを駆り立てる原点になっている。
実践課程に入った私は、当面の間、政治の現場に近い場所に身を置き、防衛政策全般の動向を見つめながら、防衛生産・技術基盤を担う企業・団体等を訪れ、同分野を担う方々の声に触れ、課題等の抽出・整理に努めたいと思っている。その後は、海外の研究機関に身を置き、より一層研鑽を深める予定である。
私は入塾前、商社において海外駐在経験も含め世界各国とのビジネスを行う中で、大きく変動する世界と日本の置かれた状況を目の当たりにした。
この中で日本の抱える大きな問題として対外的に自らの立場・重視する価値を適切に発信することにおいて圧倒的に欠けるものがあるということに気付いたのであった。
世界各国は自らの立場を様々な手法を用いて発信している。それらは時に意見広告であり、語学機関等を通じての発信でありと多様な形態をとるが、その何れも自国の国益というものを見据えた上での長期的且つ戦略的な取り組みである。
今こそ我が国には適切な主張・発信が求められている。私は今後実践活動において国内の学術機関での研修、米国への渡航、中国での研究等を軸として、日本の抱える問題と課題、各国の動向を把握し、あるべき広報戦略・体制の確立に貢献したいと考えている。
エネルギーと原子力政策を実践活動のテーマとしています。私が福島県で生まれ育ち、地震や津波を取り扱う土木工学を学んだこと、3.11直前まで電力会社に勤務したこと、ご縁があって松下政経塾に入塾したことを受け、私の仕事だと感じたためです。
実践活動では、エネルギー、原子力政策に関する議論に焦点を当てています。その理由は、当該議論が成立しにくい性質を持っているためです。議論すべき分野が経済、安定供給、安全性等、広範であるために、ある分野の専門人が、他の分野では非専門人となってしまい、全体的視点を持った議論が難しくなっています。また、各人が都合の良いデータをもとにバラバラに議論を開始する傾向も問題です。トゥールミンの議論モデルに従えば、議論には共有されたデータが必要条件ですが、なかなか条件が満たされた議論を目にすることがありません。
現在、福島県で古いアパートを借り、書籍を山積みにしながら仮説を立てています。時間がかかる仕事ですが、非常にやりがいがあると感じています。
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