研修活動 2-3年目(2011年度)
2011年度4月は、千葉修平塾生(第30期生)、内田直志塾生(第31期生)の活動風景をご紹介します。

東日本大震災 〜震災奉仕活動〜
千葉修平塾生(第30期生)
宮城県出身の塾生として、そして被災者の一人として、この未曾有の大災害に対して、今、自分がなすべき事は何なのか、自問しながらの活動だった。東日本大震災での復興奉仕活動で現地入りしたが、他の塾生と違い、私は、全壊した宮城・亘理町の実家の整理・片付けをしながらの奉仕活動だった。今回は同期の丹下大輔塾生と活動を共にした。私自身は発生直後に続き、二回目の宮城入りだった。
自宅前の島にかかる橋の上には、車やプレハブの部屋が覆いかぶさり、途中の道路は何隻もの巨大な漁船にふさがれ、回り道をすることになった。使える物やアルバムなどを運び出す。大きな家具類は、運ぶことが出来なかったので断念した。近所の方々にも、逃げ遅れて亡くなった事がいた事を聞いた。前日には、大きな余震があるなど、津波の再発生を懸念しながらの作業だった。最後に、自宅の「取り壊し」を決断する赤い旗を自宅に立てた。
亘理町ボランティアセンターにて
千葉修平塾生(第30期生)
奉仕活動では、一人のボランティアとして、泥だらけになった家具を運びだし、床下の膨大な量のヘドロを、腹ばいになりながら除去した。夜は、県庁職員や警察官として現場に身を投じている友人、被災した友人たちと語り合った。
現地を離れてみた時、ふと、故郷が記憶の中によみがえった。街そのものが壮絶に変わりすぎて、その場にいる間は、元の状態が思い出せなかったのだ。
軽い喪失感に襲われた。そして、より多くを失った方々の気持ちを思うと、一層、胸が痛んだ。
これから自分は何が出来るのか。今、出来る事を行い、継続していく。一方で、5年後、10年後を見据えた中長期のビジョンを深く考え、しかるべき時に実現していく事も、塾生の使命だと考える。その先に、宮城、東北、そして日本の行く先がある。残された一年という研修期間、懸命に取り組んでいきたい。
NPOの東日本大震災での活動報告聴講
千葉修平塾生(第30期生)
都内で行われた、NPOの東日本大震災での活動報告を聞いてきた。今後、大切なのは被災者同士の支援である事を聞き、感銘を受けた。
より軽い被害だった方々が、自身の生活を立て直した後、より重い被災者の方々を支援していく。長い道のりになるからこそ、地元の人たち同士の、無理ない形での支援が大切になっていく。自分もその一助を担っていきたいと感じた。
東日本大震災 〜震災支援活動開始〜
内田直志塾生(第31期生)
3月11日におこった東日本大震災の復興支援活動を行っています。発生から約二週間後に宮城県に行き、災害ボランティアセンター(以下ボラセン)を通じて独居老人宅の室内片づけ、床上浸水宅の泥かきなどの手伝いを行ってきました。初日は亘理町に行ったのですが、全てが流されているという状況を目の当たりにして、自分に何ができるのだろう、これは個人でできることはないのではないか、と大きな無力感を感じたところからのスタートでした。
翌日はボラセンに登録して、上述の活動をしたのですが、そこで感じたことは、日常のコミュニティの大切さです。日頃は何気ないご近所づきあいでも、いざ、このような大きな災害があったときに頼りになるのは、やはりご近所の力。ボランティアに頼むこともできますが、期間も限られますし時間の経過とともに外部ボランティアができることも少なくなってきます。現場をみて地域のコミュニティの大切さを改めて感じました。
宮城県での活動は3月いっぱいで終了したのですが、引き続き支援活動が必要と感じ、今度は岩手県に向かいました。先輩塾員の紹介で岩手県のあるボランティア団体に参加させていただき、花巻市を拠点に沿岸部、特に大槌町への支援活動を開始しました。
震災地でのお花見
内田直志塾生(第31期生)
被災地そして非被災地において、花見自粛に関する意見がメディアを通じて報道されていました。しかし、被災地のある地区のリーダーの方が、自粛自粛ではなくやはり復興に向けて歩みを進めるべきだ、花見をその一歩とするんだ、と声を上げられました。本人も子供を津波で亡くされていたのですが、それでもそのような力強いメッセージを発したことで、他の地区にも花見をしようという声が広がりました。
大槌町でも花見をすることとなり、その準備、運営をお手伝いさせていただきました。
当日は黙祷から始まり、地元の伝統芸能が披露され、被災者の方々にも笑顔が戻りました。復興の道のりは長く辛いものだと思います。しかし、時に全員で何か目標をたて、それを達成していくことは、復興への希望になり、復興そのものになるのだと、今回の花見を通じて感じました。リーダーが希望の光を見せること、これが被災地では求められています。希望の光があれば今の辛さを耐えることができるのです。
問題の本質
内田直志塾生(第31期生)
久慈市にある国家石油備蓄基地を見てきました。ここは地下岩盤にトンネルを掘ってそこに原油を貯蔵する、地下岩盤タンク方式の施設です。地下の原油には被害はないようですが、地上施設は壊滅状態でした。石油の安定供給、緊急時の放出が望まれる施設でしたが、今回の大津波では緊急時放出はできませんでした。また、福島県では津波の被害で原子力発電所が大きな被害を受け、電力の安定供給どころか、周辺住民、海洋への放射能汚染という最悪の結果を招きました。
日本はエネルギー資源の少ない国です。そのため国は多くのエネルギー施策をうってきました。平時においてはうまく機能し、我々国民もその恩恵に浴してきました。
しかし、今回の震災でその施策は脆く、特に自然災害という有事に対して最悪の事態を引き起こしうるものだ、という事実を我々国民に突きつけられました。誰に責任があるのでしょうか。その施策を決めた国にあるのでしょうか。あるとしても国だけにあるのでしょうか。エネルギー施策の恩恵に我々も浴してきました。おかげで24時間いつでも電気を使え、いつでもお湯を使える生活を送ってきました。また、その国の運営を担う代表者を決めたのは我々国民でもありました。
したがって、今回の震災で明らかになった国のエネルギー施策、防災施策の課題を国だけの問題にすることは、天に唾を吐くようなものではないかと、自問自答しています。恩恵の裏には必ず犠牲がある。それが自分の目の前から隠されているならば、自らその覆いを探し、めくり、直視する努力をしなければならない。それには多くの労力が必要ですが、幸いというべきか、被災地では大小問わず、その覆いが流され問題の本質があちらこちらで明らかになっています。時間がたてばまた覆いが戻り、本質が隠されてしまいます。日頃見えにくくなっている問題の本質を被災地でよく見て、これからの復興について考えていきたいと思います。