第1章 問いと仮説
1.1.現状認識われわれが今後21世紀のビジョンを描くとき、「持続可能な社会」という要素は欠かせない。そして持続可能な社会を構想するとき、森林保護や動物愛護といった自然環境を持続的ならしめる活動だけではなく、われわれ人間社会そのものを持続的ならしめる活動をも追求する必要があると考える。そのためには、現在の社会システムの延長上で小手先の対応をするだけでは十分ではない。自然環境の破壊、高齢化、金融資本の暴走、コミュニティと家族の解体、人間性の崩壊といった現代的問題は、中央集権型国家とグローバル資本主義経済という現在の社会システムでは正しく扱いきれない部分が問題化したものだと考えられるからである。よって、こうした現代的問題を解決し、持続可能な新しい社会を創造していくためには、社会システムそのものから考え直す必要がある。そして新しい社会システムは、人間一人ひとりの生活の豊かさを保障し、人間社会と、それを包含する自然環境の持続可能性を追求するような理念によって支えられなければならない。
そこで本論文では、この持続可能な社会システムを考えるための有力なアプローチとして注目されている、「政治的エコロジー」という理念と「地域通貨」というシステムに着目する。「政治的エコロジー」とは、自然環境を含めた持続可能な社会を創造するためには、まず持続可能な人間社会をつくる必要があるという主張である。そして「地域通貨」とはコミュニティの自立と存続を目的として、ある限定されたコミュニティ内で流通する通貨である。
ここで政治的エコロジーに注目するのは、環境問題の解決を図るなかで出てくる「持続可能性」、「地域社会の重要性」、といった概念を含む政治的エコロジーを追求していくと、政治的エコロジーは自然環境と同様、人間環境の持続可能性を追求するので、人間社会の持続的発展を阻む現代的問題の解決につながる可能性を秘めているからである。「環境問題」とは、自然環境の破壊やコミュニティの解体などの現代的問題が複合的に絡み合ったものと捉えることができるのである。そして地域通貨に着目するのは、政治的エコロジーという理念を具体化するにあたって、独自の価値交換システムを提供することで市民社会の自立を助けるなど、多くの可能性を秘めているメカニズムだからである。
1.2.問いと仮説
地域通貨は国家と市場の限界が見える中で、国家と市場に頼らない第三の生き方を模索する中から始まった。ゆえに、地域通貨システムを設計する際、市場の役割は「地域通貨」という響きからある程度考えられてはいたが、政治や行政の役割はあまり深く考えられてこなかった。
そこで本論文では、これまで非・脱・反国家的な文脈で語られることも多かった「地域通貨」について、政治・行政の果たすべき役割があるのかを問う。そして果たすべき役割があるとしたら政治・行政は今後どのように変容するかについて問う。この問いに対する仮説は「地域通貨」の活用を図るためには自発的な市民が組織する市民政府・行政の役割は十分あるというものである。そして「地域通貨」の活用は、公共空間の再編を引き起こす、具体的には公共空間を独占し、市民社会をコントロールしてきた政府・行政のあり方が問い直され、自発的な市民の協力・協働にもとづく市民政府が台頭していくというものである。
問いの内容をもう少し詳しく見てみよう。まず、上に述べた「非・脱・反国家的な文脈で語られることも多かった」とは、すなわち以下のようなことである。「地域通貨」は既存の国家によっては生活が保障されない人々の、既存の政府に頼らないで市民同士の自助努力を通じた生活保障の努力であるケースが多いので、自然と非・脱・反国家的になりやすい。しかし、多数の市民が自発的に問題解決集団を創っていくということは、自分たちの手で、自分たちのための「新しい政府」を創っていくことに他ならない。よって、政府という仕組みそのものを批判するのではなく、自分たちの手でよりよい政府を創っていくという発想が最終的には重要性を持ってくる。「自発的な市民が組織する市民政府・行政」とはそのような政府のことである。さらに、政府関与の重要性については、まず地域通貨というある種のインフラ整備には、政府の投資が期待される。次に、地域通貨で扱われる財には公共的な性格のものが多いことを考えても、税・財政を通じて関与する余地は多分にあるし、正統性の観点からもこれは重要である。特に日本では政府・行政の役割に対する認識として、政府に対する「期待」は大きいので、「地域通貨」導入効果の実効性の面からも政府組織の関与は重要なのである。
地域通貨には、現代的問題を解決し、新しい生活重視の持続可能な社会を築いていく力がある。しかしその力も、アナーキスト的に現在の社会体制から離脱する一部の人々の自己満足に終わってしまっては、その効力を十分に発揮し得ない。この地域通貨をきちんと全体の政治経済体制の中に位置づけ、社会再編、創造ツールとしての可能性を十分に引き出す道を示すことに、この論文の意義がある。
1.3.本論文の構成
本論文では、政治的エコロジーの概念と地域通貨の概念を明らかにしたうえで、まずその両者の関係を解明する。そして地域通貨が政治的エコロジーという理念を具体化するためのツールとして有用なものであるための条件を、いくつかの代表的な地域通貨の例を参照することで明らかにする。その上で地域通貨に対する各方面からの批判に答え、最後に市民社会から政府部門への拡張を視野に入れた、新しい地域通貨のかたちを考える。
まず第2章、第3章では序論として21世紀のビジョンと、その価値基軸となる政治的エコロジーについて考察する。その後第4章から第6章までにおいて、これまでの地域通貨の試みについて分析することで、今後地域通貨を有力なツールに育て上げる上で必要な要素と批判への対応について考察する。そして第7章では、それまでの議論を踏まえて21世紀型の地域通貨の提案について考察する。第8章では結論として、第7章で検討したモデルをもとに、今後の展望を考察する。
第2章 21世紀型ビジョンへ向けて
2.1.21世紀の政治、経済システムを支えるキーワード「政治的エコロジー」と「地域通貨」。21世紀型の新しいビジョンを模索するわが国にとって、この二つは政治面、経済面での有力なキーワードである。
2003年を迎え、わが国では政治における55年体制の終焉、経済における高度成長神話とバブルの崩壊からすでに10年以上の時間が経過した。このいわゆる「失われた10年」のなかで、政治がその問題解決能力を低下させる一方、現代経済社会制度に内在する問題として、自然環境の悪化、地域コミュニティの破壊、伝統文化の棄損、国際金融資本の暴走などの問題がますます顕在化してきた。すなわち、政治面では新保守主義、社会民主主義の双方ともある時期には社会の活力を回復するのに大きな効果を発揮した反面、相変わらず「市場の失敗」、「政府の失敗」の問題を乗り越えられないでいる。経済面では資本主義国の経済発展は国民経済に物質的な繁栄をもたらした反面、その裏で財務諸表に載らない自然環境などの資産を食い潰すという問題を引き起こしている。そういう意味では、これまでの発展は、「一面的な発展」であった。物質的繁栄を得た今、「本当の豊かさ」とは何かを改めて問い直す時期に来ている。
こうした中、新しい展開が起きつつある。政治面では政治的エコロジーを掲げる政党が登場し、経済面では地域通貨、フェア・トレード などの試みが草の根レベルから盛んに起こっている。一方で、従来のあり方を強化しようとする既得権者の動きも活発化している。政治面では極右政党が再び台頭し、経済面では国際金融資本によるマネーゲームが一層その規模を拡大させている。こうした中、われわれ人間社会の進路を持続可能な発展と共存へと方向転換するには、やはりこれまでわれわれの社会を導いてきた政治経済システムそのものの変革が必要となろう。その際の一つ有力なキーワードセットが、政治面での政治的エコロジーと経済面での地域通貨である。
2.2.政治的イニシアティヴによる問題解決の3段階論
ここで、筆者の考えによる、政治的イニシアティヴによる問題解決の3段階を見てみたい。第1の解決方法は、「規制・禁止」である。これはすなわち、法律等により禁止事項を設けることにより、好ましくない行動を強制的に抑制するものである。例としては、フロンガスの使用禁止といった一般的禁止、廃棄物処理事業の許認可といった制度運用が挙げられる。こうした「規制・禁止」は、罰則という恐怖へのインセンティヴである。
第2の解決方法は、「教育・啓蒙活動」である。これはすなわち、市民に十分な知識とある種の道徳規範を説くことにより、好ましい行為を助長し好ましくない行為を市民が自発的に抑制することを期待するものである。例としては、タバコのポイ捨て、電車内での携帯電話の使用などを控えるように訴える活動などが挙げられる。こうした「教育・啓蒙活動」は、個人の理性と道徳心へのインセンティヴである。
第3の解決方法は、「制度・自律的メカニズムの創造」である。これはすなわち、市民が自由に行動した結果、自然に目的が達成されるようなシステムを提供することにより、好ましい行為が自然と選択されることを期待するものである。例としては、排出権取引等のいわゆる経済的手法が挙げられる。こうした「制度・自律的メカニズムの創造」は、人間の本質的欲求へのインセンティヴである。
以上のような問題解決の3段階論を考えた場合、直接的に政治的エコロジーを広める行為は第2段階の「教育・啓蒙活動」に相当する。もちろん政治的エコロジーという理念は、第3段階の「制度・自律的メカニズムの創造」に際して、あるいは第1段階の「規制・制度運営」に立ち返った際の判断基準にもなりうるが、それは直接的な関係ではない。それに対して、地域通貨の設計・運用は、第3段階の「制度・自律的、メカニズムの創造」に相当する。制度設計にあたっては、設計方針の基本となる行動原理が必要となる。そういった意味で、ある種の価値観との結びつきが必要となる。
もっとも、制度自体がその設立と同時に内在的に持つ力によって、「意図せざる効果」が発生する場合もある。あるいは、「意図せざる効果」を装って、別の制度に表向きの意図とは別の意図が込められる場合もある。
だからといって、「教育・啓蒙活動」に制度的アプローチが伴わなくてよいとはいえないし、「制度・自律的メカニズムの創造」の際に基本となる価値観を持とうとすることが無意味だということにはならない。先に述べた「政治的エコロジー」という価値基準と「地域通貨」という制度は、地域通貨という技術がその技術自体に内包している市民社会の安定という方向性を考えると、相性のよいものである。そして、自然環境の悪化、地域コミュニティの破壊、伝統文化の棄損、国際金融資本の暴走などの現在的問題を解決して新しいビジョンを打ち立てていく際、あらゆる場面に適応可能な組み合わせなのである。このことは本論で詳述する。
第3章 政治的エコロジーとは
3.1.政治的エコロジーの歴史的背景政治的エコロジーというものを考えるにあたって、リベラリズムと保守主義という20世紀後半の2つの大きな考え方を概観してみたい。そうすることで、リベラリズムと保守主義の限界を超えようとする試みの一つとしての政治的エコロジーの特徴がはっきりとしてくるからである。ただし、ここではリベラリズムと保守主義の基本的な考え方を抑えることが目的であるのでそれぞれを概観するにとどめるが、もちろんより議論を洗練したバリエーションや修正モデルもあるということは断っておく。
リベラリズムにもとづく政治では、手厚い社会保障政策と、それを支えるための高い租税負担率という政策がとられ、いわゆる「大きな政府」という体制になる。リベラリズム政権の目指すところは、公的扶助による家庭生活の安定である。その構造を、図3-1に示す。政府は市場部門が生み出した利益の一部を法人事業税、所得税などの税という形で徴収し、それを社会保障という形で市民の福利厚生の向上のために支出する。つまり、リベラリズムにもとづく政治体制では政府の役割が非常に重要であり、政府は市民の生活を支えるための富の再配分機構として働いている。
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しかし、経済成長率が低下し、人口構造が高齢化していく成熟社会になるにつれ、様々な問題が発生するようになる。第一に、巨額の社会保障費は財政破綻をひきおこす。第二に、手厚い社会保障は人々の勤労意欲、責任感を奪うという「意図せざる結果」を生む。第三に、政府に巨額の資金が集まることで、諸政策の受益者であるはずの人々よりも、公的部門で働く人々の利益を増進するという結果になることが往々にしてある。こうしてリベラリズムの限界が明らかになってくると、保守主義を唱える勢力が力を増すことになる。
保守主義にもとづく政治では、減税と歳出削減という政策をとることが目指され、いわゆる「小さな政府」という体制が目標となる。イギリスのサッチャー政権(1979-1990)、アメリカのレーガン政権(1981-1989)などがその例として挙げられる。保守主義政権の目指すところは、市場原理による競争を通じての市民の自立である。その構造を、図3-2に示す。ここではリベラリズム政権下の社会構造とは対象的に、政府の役割は小さい。替わって重要視されているのが市場であり、市民生活を保障するために必要なサービスは、できるだけ市場を通じた競争によってまかなわれることを期待している。逆に言うと市民が生活の保障を得ようとすれば、市場での競争に勝ち続けなくてはならない。
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しかし、保守主義もまた様々な難問に見舞われるようになる。「減税」は容易に実現できるのだが、「歳出削減」が容易でない。なぜなら、福祉国家政策の最大の受益者であった中産階級の選挙における影響力が無視できないからである。よって、税収不足が生じ、財政赤字が拡大する。こうした赤字が発生した場合の対処法には、筆者の考えでは国のタイプによって異なる3つのパターンがある。第一のパターンは、アメリカ型、または基軸通貨国型である。基軸通貨の強みを生かして通貨をどんどん発行し、資金調達を行う。その金融力によって金融自由化を世界的に主張し、国際金融市場から富を吸い上げる。ここでは富の空間的移動が起こる。第二のパターンは、日本型、またはアメリカ以外の先進国型である。資金不足は、国債の大量発行で賄うことになる。ここでは、富の将来世代からの時間的移動が起こる。第三のパターンは、開発途上国型である。開発途上国の場合、主に資金調達源は対外債務に頼ることになる。この場合、利子という形で富の空間的移動と時間的移動が同時に発生する。いずれにせよ、「歳出削減」ができなかった場合、そのツケは他にまわされることになる。また、市民社会内部でも問題がおきてくる。過度な競争は「勝ち組」と「負け組」を生み、所得格差による社会階層の分化は社会不安の要因となる。また市場の競争原理は、競争よりも相互扶助の論理にもとづいて動く市民社会の分解を促し、これもまた社会不安の要因となる。こうして競争社会は市民社会の全体に対して豊かな生活を保障するものではないことが分かり、保守主義の限界が見えてくると、リベラリズムと保守主義双方の問題点を乗り越えた、より安定的で持続可能な発展を可能にする新しい考え方が必要となってくるのである。
3.2.市民社会の台頭
リベラリズム、保守主義の限界が明らかになる中で、「政府」と「市場」という2つのセクターにのみ注目する議論の限界が明らかになってきた。そこで近年脚光を浴びるようになってきたのが、第三のセクターとしての「市民社会」である。この「市民社会」の特徴としては、有徳の市民が政府に頼ることなく自ら政治を引き受けるということが挙げられる。その構造を、次ページ図3-3に示す。この図で重要なことは、市民社会内部に独自の循環があることである。リベラリズム政権下の社会構造では、市民の生活保障は政府の役割であった。また保守主義政権下の社会構造では、市民の生活保障は市場の役割であった。ここで市民は政府に頼ることもなく、市場の競争原理を採用することもなく、お互いの助け合いによって自分たちの生活保障を実現しようとしている。その例を挙げるとすれば、ボランティア活動やNPO活動であろう。図3-4は、80年代、90年代と増え続けるボランティア数 のデータである。
ここで、これまで政府や市場に対して従属的に考えられてきた市民社会を自立させるにあたって、それを支える理念とシステムが必要となってきた。そしてその理念をシステムとして考えられているものが、市民社会の持続性を考える政治的エコロジーと、市民社会内部での自律的な価値循環システムである地域通貨なのである。
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3.3.政治的エコロジーの定義
第1節では、リベラリズムと保守主義の基本的な考え方を見ることにより、政府、市場と市民社会の関係がどのように捉えられてきたかを明らかにしてきた。第2節では、ポスト保守主義の機運が高まる中で、市民社会の自立という新しい動きが明らかになった。そこでこの第3節では、政治的エコロジーとは具体的にどのような概念かを明らかにしていきたい。
政治的エコロジーとは、簡単に言えば、自然環境を含めた「持続可能な社会」を創造するためにはまず、持続可能な人間社会をつくる必要があるという主張である。通常エコロジーという言葉は自然環境の保護というような意味合いで使われる。しかし、アラン・リピエッツ(Alain Lipietz)によれば、人間は自然界の中で「唯一の社会的で政治的な種」であるので、人間社会を含めた持続可能性を追求するには、単に自然環境のみを科学的対象として研究するだけでは十分ではないという。人間社会を含めた持続可能性を追求するためには、政治的な種である人間のエコロジー、つまり政治的エコロジーという考え方に立つ必要がある。政治的エコロジーについて、リピエッツは次のように述べている。
科学的エコロジー(自然生態学)の古典的問題は狩猟の問題である。(中略)「食うもの‐食われるもの」の連鎖は、食べるものが減少することだけを恐れる、何ものにも攻撃されない最上位の捕食者に至るまで、同じようにつながっていく。この複雑な食物循環の階層構造(中略)が生態系(エコシステム)を形成する。(中略)種の個体群が衰えることもあれば、病気に見舞われることもある。(中略)このようなプロセスは、植物や動物の意思でなされるものではない。(中略)
ここで、社会的な種について考えてみよう。種の個体の欲求を満たすために環境を変えるあらゆる活動をあえて「労働」と呼ぶとすれば、アリやシロアリ、ビーバー等の場合のように、労働の分割〔分業〕が存在する種はいずれも社会的である。そこでは種そのものが各個体の環境の一部を構成しており、比較行動学(エトロジー)で扱われる同種の個体間相互の関係(中略)が生態環境(エコロジー)の一部に決定的な仕方で関わっている。
さらに、人類は政治的であるということ(中略)について考えていただきたい。(中略)人類は、自分たちの活動に対して、また活動が領域に及ぼす影響に対して責任を負っているのであり、また、特定の領域で従来どおりに生活できるよう将来世代に保障する仕方に責任を負っているのである。(中略)人類のような政治的な種は、社会組織を変えることによって危機を解決することができる。(中略)社会的・経済的な進化は人類の進化の主要な形態なのである。換言すれば、唯一の社会的で政治的な種である人類は、政治的エコロジーeologie politiqueという固有のエコロジーを生み出す。政治的エコロジーとは、人類という特殊な種の科学なのである(Lipietz, 1999. 邦訳20−23ページ)。
つまり、人類には自然環境を意識的に変える力があるので、将来世代の要求をも満たす自然環境を残していくためには、人間社会のあり方を考える必要があるということである。そして、人類にとって、人間社会内の「社会環境」と人間社会を取り巻く「自然環境」の両方が重要であり、「社会環境」をも持続可能なものにしていかなくては「自然環境」も持続可能なものにはならないということである。
ここで前節までで考えたリベラリズムや保守主義といった理念と社会構造の関係を考えあわせてみよう。リベラリズムには財政破綻、人々の勤労意欲の欠如、市民より公的部門の利益が促進されるという限界があり、リベラリズム政権下の社会構造は持続可能なものではなかった。また保守主義は財政不均衡、貧富の格差、市民社会の連帯の崩壊を引き起こすという限界があり、保守主義政権下の社会構造はこれまた持続可能なものではなかった。これに対して、政府や市場から自立した市民社会が、リベラリズムや保守主義の示した限界を克服し、持続可能なコミュニティを築こうとするとき、まさにこの人間社会の持続可能性をテーマとする政治的エコロジーの概念こそが重要になってくるのである。
政治的エコロジーは理念であるので、この理念を具体化していくためには、様々なツールが必要となる。市民社会のガバナンスという点では、従来の中央集権国家の活動に替わり、NPO活動が重要な手段となる。あるいは中央主権政府の末端機関としての地方自治体ではなく、地域住民が自発的に組織する、真の意味での地方自治体が重要な手段となる。保守主義政権下で露呈した市場経済システムの問題を乗り越えるには、現在の市場経済システムを支える国家通貨という概念とは別の概念にたった通貨が必要となる。しかし特に、市民社会の自立、すなわち政府や市場に頼らず市民社会内部で必要とされるサービスをお互いに融通しあうことを考えた場合、市民社会内部で循環する価値交換媒体、すなわち地域通貨が非常に重要なのである。NPO活動などの新しい活動も、この地域通貨が創造する新しい社会構造にその基盤をおかなくては、本当の意味で新しい活動はできない。既存の社会システム上では、既存の政府や企業がやはり有利だからである。政治的エコロジーという考え方は、地域通貨と結びついて初めて、新しい概念となっていくのである。
政治的エコロジーにとって地域通貨のような新しいシステムが重要なのは、理論的な面からだけではない。政治的現実の面からも重要なのである。このことをフランス緑の党の例を参考に見てみる。同党は当初、保守にもリベラルにも背を向ける「孤立主義」の立場をとっていた。この戦略ではなかなか政権に近づけないため、1993年から1994年以降、緑の党は戦略を転換する。市民生活重視という点では価値観に共通部分も多いリベラル政党と、それぞれの自立性を保ちながらも一緒に政権を目指す戦略に出たのである。この「契約的自立」という概念によって、政治的エコロジー勢力と、新しいリベラル勢力は同盟を組んだ。ヨーロッパ各地で似たような現象がおきたが、現在の状況を見てみると、勢力に劣る政治的エコロジー勢力が、リベラル勢力に飲み込まれつつあるような状況である。たとえ合同することがいいとしても、旧来のリベラル政策に戻ってしまっては問題解決にはならない。これは新しく生まれ変わろうとするリベラル勢力にとっても同じことである。そこで、従来のような大規模支出政策ではなく、支出を抑制しつつも、市民生活の豊かさを増進するような手段、すなわち地域通貨というシステムは、非常に魅力的なのである。
第4章 地域通貨とは
4.1.内部通貨と外部通貨4.1.1.内部通貨の再生を通してのコミュニティ再生
地域通貨について考える前に、通貨を2種類に分ける発想法、つまり通貨をあるコミュニティ内部でのみ通用する内部通貨と、いろいろなコミュニティの間で横断的に通用する外部通貨に分ける考え方を抑える必要がある。なぜならば、地域通貨とは何かを語るとき、地域通貨を内部通貨と重ね合わせ、国家通貨を外部通貨に重ね合わせる見方があるからである。例えば、丸山真人はその論文において、通貨を内部通貨と外部通貨という相異なる二つのカテゴリーに分けて考える必要性を示している。そして、現代社会では消滅してしまった内部通貨を地域通貨という形で再生させる可能性と必要性を主張している。なぜかといえば、内部通貨が消滅してしまったために相互扶助にもとづくコミュニティが消滅してしまったのであって、そのようなコミュニティを復活させるためには、地域通貨という新しい形の内部通貨が必要だというのである。これを第3章の図3−3に照らして考えてみれば、政府や市場の陰に隠れていた市民社会を復活させるためには、地域通貨という市民社会の内部で循環する媒体が必要だということになる。
この論点をもう少し詳しく見てみよう。まず、内部通貨と外部通貨とはどのように違うのかを明らかにした上で、なぜ内部通貨が歴史の中に消滅し、そして今なぜ内部通貨の復活が必要なのかを検討する。
内部通貨とは、あるコミュニティの内部でのみ通用する通貨である。丸山は、ハインリッヒ・シュルツ(Heinrich Schurtz) を参照しながら、次のように述べている。内部通貨は、当初部族内で価値保存と価値尺度という2つの目的のために使われていたもので、他の部族との交易の際に価値の交換手段として使われた外部通貨とは全く別物である。もともとは装飾品が内部通貨として使われていた。内部通貨としての装飾品の価値は、そのモノとしての価値にあるのではなく、それに込められた精神的、宗教的意味合いにあった。そして内部通貨の使い道は、コミュニティの一員に対して好意や援助を求める際の贈り物であった。そして次第に使い道は拡大され、コミュニティのリーダーによる税や罰金の徴収や、他のメンバーとの紛争処理後の補償にも用いられるようになった。ここに至って、内部通貨には価値保存、価値尺度に加え、権力関係の手段という側面が備わった。よって、内部通貨はあるコミュニティの内部では通用するものであったが、それが他のコミュニティでも同じように通用するものではなかった。
外部通貨とは、2つ以上の異なるコミュニティの間で交易を行う際に用いられた通貨である。外部通貨について、丸山は前述のシュルツを引用しながら、次のように述べている。交易の際には、交易専用の媒体が用いられる傾向にあった。その媒体は交易される物品の中から選ばれるのが普通であった。当初交易は、コミュニティ間の友好関係を深めるための贈り物の交換として行われたが、この他のコミュニティからもたらされる贈り物は、次第に関税へと姿を変えていった。そしてこの関税としてもたらされた交易物品の一部が、次の交易の際に支払われる通貨となっていった。この通貨が外部貨幣である。
そしてこの外部貨幣が価値尺度や価値保存手段としても使われるようになると、次第に内部貨幣がこれまで果たしていた役割を代替するようになったのである。こうして、内部貨幣と外部貨幣の差はなくなり、次第に統合されていった。
ところで、内部通貨がなくなり外部通貨に取って代わられるようになると、コミュニティは独自性を失って解体へと進み、これまで異なった価値体系にもとづいて成立していた複数のコミュニティが、一つの価値観のもとに統合されていく。このことについて、岩井克人は、次のように説明している。
商業利潤創出の秘密は、理論的には二つの価値体系間の「差異」にあり、具体的には商業資本によって仲介される二つの地域の間の「距離」である。いわゆる「遠隔地貿易」による、ヴェニス、ポルトガル、オランダ、あるいは古代のカルタゴやローマといった商人都市や交易国家の繁栄が、その歴史的な典型を与えてくれる。
しかしながら、遠隔地交易が連続的になり、その規模が拡大すればするほど、それによって仲介された地域の間の経済的な「距離」は縮まる。それとともに、両地域で成立している価値体系もその「差異」を失っていく。結局、商業資本とは、二つの地域を一つの価値体系が支配する一つの市場経済の中に統合していく媒介運動にほかならず、それは自らの存立基盤を切り崩していく仕組みを打ちに備えていることになる。差異を仲介するとは、すなわち差異を解消することなのである。
このように、外部貨幣を用いた交易は、コミュニティを解体する性質を内在的に備えている。この外部貨幣の性質を考えれば、1990年代後半から特に顕著となったグローバリゼーションによって、グローバル・スタンダードという名の下に世界中が一つの価値体系に統一されようとしているのも当然である。そして、さまざまな相異なる価値基準をもつエスニック集団が、自分たちの価値基準、すなわち生活様式や文化を失うことを恐れ、グローバル・スタンダード化の最右翼であるアメリカに対して警戒感をいだくのも当然である。
このような状況下で、各コミュニティが独自の価値基準を持って自立することは、外部通貨である国家通貨を基礎とする社会システムを採用する限り、不可能なのである。逆にいうと、コミュニティの自立を図るためには、内部通貨を復活させる必要があるということである。
4.1.2.市場化されない価値の再発見
内部通貨を再生することの意味は、コミュニティあるいは市民社会の自立以外にもう一つある。それは現在の市場経済では評価されない価値の適正な評価である。現在の国家通貨は外部通貨の発展したものであり、地域通貨は内部通貨が復活されたものだとすれば、当然そこにはある種の緊張関係が生じる。しかしそれと同時に、国家通貨とは違うものである地域通貨には、国家通貨では解決できない問題を解決する可能性が秘められている。現在の国家通貨の抱える問題とはすなわち、国家通貨によって動いている市場経済の問題点そのものである。現在の市場経済の抱える問題点とは、自然環境や相互扶助、伝統文化といったお金で表しにくい価値に対して適正な評価がなされないために、これらの価値が経済的利益の追求の前に、不当に失われていくということである。例えば地球環境が人間の出す二酸化炭素を処理する能力に対して金銭的評価がなされていなかったために、地球温暖化という問題が起こった。オゾン層がわれわれを紫外線から守ってくれる価値が適正に評価されていなかったため、オゾン層の破壊と有害な紫外線量の増加という問題が起こった。家事労働や家庭内教育の価値が正当に評価されていなかったために、家庭の崩壊、離婚の増加、少年の非行化という問題が起こった。タイや韓国の国民がつつがなく生活を送ることの価値が適正に評価されていなかったため、1997年には欧米のヘッジファンドを初めとする投資資金によるアジア各国経済の破壊という問題が起こった。
こうした問題はすべて現在の資本主義市場経済システムが制度的に抱える問題といえる。しかしその対策としては、こうした問題を「外部不経済」と捉え、市場経済システム内に内部化することが話題の中心となってきた。しかし、これらの問題が構造的な問題である以上、その問題を生み出している構造そのものを変革するアプローチがなければ、問題の本質的解決は図れないのではないだろうか。この点について、丸山真人も次のように述べている。
われわれは確かに、生活環境が経済開発の犠牲となって破壊されたり、人間の生活の場としての土地が投棄の対象になり、身寄りのない老人が都市の住まいから追放されたり、老後の生活のために蓄えておいた資金が騙し取られて金相場に流用されたりするニュースに接するたびに、言いようのない憤りを覚え、心を痛める。そして倫理の問題として、生活領域と形式的な経済領域とのあいだのどこかに境界線を引くべきである、と考える。だが、それは行財政の改革、とりわけ外部不経済の内部化を中核とした税制改革といった提言に終始しがちである。(中略)だが、ここで改めて問わなければならないことは、市場経済の暴走に倫理的歯止めをかけることと並行しつつ、それとは別にどうすれば市場経済に依存することのない人間の生活を新たに構築することが可能になるのか、ということである 。
環境破壊や家庭崩壊などのここで挙げられている現代的問題はすべて、本来人間の生活を豊かにすべき市場経済システムによって、人間の生活が脅かされている例である。よってこれらの問題を解決していくには、人間の生活を守ることから発する社会システムを考えていくのが適当である。すなわち、市場経済とは異なる価値尺度を持つ、自然環境、コミュニティ内の助け合い、伝統文化などの価値を適正に評価し循環させるシステムを生活の場に導入するということである。ここに、国家通貨とは異なる価値基準にもとづく地域通貨を導入する意義がある。
現在の地域通貨は、1980年代からその全世界的な流行の兆候が見え始め、1990年代に入って爆発的な広がりを見せた。特に1997年にアジア通貨危機が起こり、欧米のヘッジファンドの凄まじい威力が世を騒がせたかと思うと、なんとすぐ翌年にはノーベル経済学賞を受賞した学者を2名そろえるヘッジファンドが破綻した。このころから現在の資本主義システムへの懐疑、特にグローバル化した金融資本の暴走への危惧が高まっていった。そのことが市場経済に対抗するものとしての市民社会、さらに言えば国家通貨によって動かされるシステムに対抗するものとしての地域通貨によって動かされるシステムの支持につながっていったと考えられる。
こうした流れの中、世界各地、日本各地でいろいろな地域通貨導入の試みが進められた。では実際に地域通貨とはどのようなものであるのかを、次節で検証する。
4.2.地域通貨の定義
地域通貨の数は、特に1990年代に入ってから伸び続け、現在世界各地で3000以上ある。(図4-1参照)。日本国内にも現在100以上ある。地域通貨はそれぞれの地域ごとに独自の目的、仕組みを持って設計、運用されており、統一的な定義があるわけではない。しかし大部分の地域通貨に共通して見られる最低限の要素というものはある。
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第一に、地域通貨は円やドルといった各国の中央銀行が独占的に発行する国家通貨とは異なるもので、ある一定地域内の住民グループが独自に採用しているものである。例えばカナダのトロントで使用されているトロント・ダラーは、同市にあるセントローレンス・マーケットという範囲の中で使用される。神奈川県大和市で使用されているラブスは、大和市という範囲の中で使用される。東京都渋谷区の渋谷川流域で使用されているアースデイマネー の場合、渋谷のほか長野県白馬村、新潟県上越市などでも導入を図る動きはあって、使用される地域は複数箇所ではあるが、無制限にどこでも使用できるものではなく、円と違ってやはり地域限定的なものである。
第二に、地域通貨の利子率は、ほぼ全ての場合において国家通貨と比べて低く、名目利子率はゼロ、あるいはマイナスの事もある。オーストリアのヴェルグルは、月利マイナス1%であった。利子率をゼロないしマイナスにすることの意味には、社会的割引率の影響で長期的プロジェクトより短期的プロジェクトの方が選考される現況を打破する、永遠の経済成長を不要にする、貨幣の循環速度を上げるなどの効果がある。
第三に、地域通貨は貨幣の持つ機能のうち、交換手段としての機能に特に着目しているものが多い。経済学において通貨には3つの機能があるとされる。その3つとは、価値の交換媒体、価値の尺度、価値の保存手段である。地域通貨の設計において価値の交換媒体としての機能に特に着目するのは、地域通貨が特に地域内交流の活発化を目的とするからである。ここで、地域内交流には経済的な取引と住民相互のコミュニケーションという二つの側面があるが、そのどちらにおいても、地域通貨がない場合に比べて地域内交流が量的に増大することを目指していることに変わりはない。ヴェルグルやLETSでは、地域内に流通する国家通貨の量が不足することによって地域経済の中での循環が滞ったときに、その状況を打破することを目的に地域内での交換手段として地域通貨が導入された。地域通貨の第二の特徴と重なる部分もあるが、利子率を低く設定することによって価値の保存手段としての機能に制限を加えて、国家通貨よりも早く使われるように考えられたからである。
これらの3点はほとんどの地域通貨に共通することであるが、各地域通貨を導入する際の考え方によって、いくつかのバリエーションが発生する。それらは、国家通貨との交換を認めるか認めないか、他の地域通貨との交換を認めるか認めないか、取引対象として相互扶助的サービスのみを考えるか全ての財を考えるか、などである。こうしたバリエーションについてはここでいろいろと述べるよりも、いろいろな地域通貨を実際に取り上げて見たほうが分かりやすいだろう。
地域通貨の定義を考える際に、これらの特徴から定義づける方法もあろう。しかし、ほとんどの地域通貨はこれから展開可能性を考えていくという段階において、利子率をマイナスにするとか、価値交換の手段に限るなどの限定は、かえって目的に沿った地域通貨の素直な設計を阻害する恐れがある。よって、本論文では、第1節での議論も踏まえたうえで、「ある一定地域のコミュニティ内部で流通する、価値交換の媒体であり、市場原理にもとづく国家通貨とは異なる独自の価値基準を持つもの」と地域通貨を定義する。
第5章 地域通貨のケーススタディ
5.1.多種多様な地域通貨地域通貨は、地域ごとに独自のものが導入されている。もともと参考にしたアイディアが同じであっても、時代背景、地域の特殊性などによって各地でそれぞれに発展を続けている。第5章では、いくつかの地域通貨を取り上げて、それぞれその特徴を明らかにしていきたい。これらの特徴を明らかにすることで、地域通貨がうまく機能するための要素、あるいは逆に地域通貨が機能しない場合の要素も明らかになる。この知見が、政治的エコロジーの理念にもとづき、地域通貨を用いて社会構造の設計を行う際の土台となる。
5.2.ヴィア(スイス、1934-)
現在数ある地域通貨の中でももっとも古い歴史を誇るのが、スイスのヴィア(WIR)である。1930年代には、世界大恐慌への対応策として様々な地域通貨の試みが行われたが、現在まで残っているのはこのヴィアのみである。ヴィアが注目される理由について、リエター(Lietaer, B.A.)は次のように述べている。
この試みは三つの点で興味深い。最初に、これは近代西洋世界において継続する最古の補完通貨制度であることだ。1934年にチューリッヒで16人のメンバーによって開始されたこの制度は、その後60年にわたって住民メンバーと中小企業メンバーを増やし続けた。二つ目の点としては、補完通貨制度は、世界でも最高水準の生活レベルを誇る、最も保守的で抜け目ない資本主義国といえるスイスでも必要とされ、そして受け入れられているということだ。そして最後に、このシステムは尊敬すべき規模に成長したという点である。ヴィア生誕60周年の1994年には、年間の取引額が25億スイスフラン(2000億円以上)に到達した。会員はスイス全土に広がり、8万人に達している。4つの言語を使うヴィアシステムは、本社ビルに加え、六つの地域オフィスを保有している。ヴィア(WIR)とは、ドイツ語で経済相互サポートサークルの頭文字であるとともに、「我々」を意味している。
現在世界各地に存在する地域通貨のほとんどは1990年代に入ってから始められた、まだ歴史の浅いものであり、その持続性に対して疑問を呈せられたとしても不思議ではない。しかし、このヴィアのように60年以上にわたってある程度立派な規模で使用が続けられているものがあることは、設計と運用をきちんと行えば、地域通貨は一過性のブームにとどまらず持続的なシステムとして導入可能だということを示している。ヴィアの利点として、リエターは以下のように続けている。
その会員はヴィアを二つの方法で手に入れることができる。モノやサービスをサークル内で提供するか、あるいはコーディネイション・センターからクレジット・ローンとしてヴィアを得るのである。言い換えると、ヴィアは相互信用マネー(モノとサービスの交換)とフィアットマネー(センターからのローン)のハイブリッドである。そのローンも利子は年間1.75%と非常に低い。
実際には、このようなローンは不動産その他の資産で担保していることが多い。そして他の通貨と同じく、信用がカギである。メンバーがクレジットをセンターに償還すると、その分が循環から取り除かれる。ヴィアの価値は、1ヴィア=1スイスフランに固定されているが、支払いは全てヴィアで行わなければならない(正確に言うと換算単位はスイスフランで、交換の媒体はヴィアである)。メンバーによると、ヴィアに参加する理由には次のようなものがある。
- ヴィアを使うとビジネスのコストが非常に浮く。ヴィアを使った取引の売上額のコミッションは0.6%に上限が設定されている。
- ヴィアを通して、質の高い顧客ベースにアクセスできる(クレジットは国家通貨よりずっと安価である)。
- その他のサービスも提供される(ダイレクトメール、メンバー間でのPR、広告など)。
- 外的ショックに対する緩衝となる(国家通貨の公定歩合の突然の上昇 、その他の経済への打撃など)。
- ヴィアは、中小企業にとって通常大企業だけが持つ利点を得る手段となる。
つまり、ヴィアがここまで発展したのは、ほとんど全ての財・サービスが取引できるという、国家通貨に匹敵する便利さがあることに加え、低金利での資金調達が単独では信用力の低い中小企業にも可能になるなど、国家通貨を上回る便利さがあったからだといえる。このことは、詳しくは第5章で考察するが、地域通貨システムの成功要因を考える上で重要となる。
5.3.ヴェルグル(オーストリア、ヴェルグル市、1932-33)
二つ目の例として考えてみたいのが、1932年から1933年までオーストリアのチロル地方の小さな町、ヴェルグルで使用された地域通貨である。この地域通貨は、当時ヴェルグル市が直面していた厳しい不況を打破するために導入されたものである。当時の状況について、森野らは以下のように述べている。
1930年代における地域通貨の実験の中でもっとも有名なのは、オーストリア・チロル地方のヴェルグルでしょう。当時、人口わずか4300人のこの町には、500人の失業者と1000人の失業予備軍がいました。通貨が貯め込まれ、循環が滞っていることが不景気の最大の問題だと考えた当時の町長、ミヒャエル・ウンターグッゲンベルガー(Michael Unterguggenberger)は(中略)1932年7月の町議会でスタンプ通貨の発行を決議しました。
ウンターグッゲンベルガーは自身が地域の貯蓄銀行から3万2000オーストリア・シリングを借り入れ、それをそのまま預金として預け、それを担保として3万2000オーストリア・シリングに相当する「労働証明書」という地域通貨を発行しました。(中略)
そして、町が道路整備などの緊急失業者対策事業を起こし、失業者に職を与え、その労働の対価として「労働証明書」という紙幣を与えました(森野、あべ、泉、2000年、50-52ページ)。
この「労働証明書」あるいはスタンプ券のもたらした効果について、リエターは次のように述べている。
そのスタンプ券には、毎月額面の1%の切手を貼らなければならないという決まりごとがあったので、それを受け取った人はできるだけ早めに使おうとし、それにより他人に仕事を提供するようになった。スタンプ券の使い道のアイディアが尽きてくると、人々は税金まで早めに支払おうとするようになったのである(Lietaer, 1999. 邦訳175ページ)。
森野(森野、あべ、泉、2000年)によれば、この「労働証明書」は13.5ヶ月の流通期間の中で、流通量の平均は5490シリング相当、住民一人当たり1.3シリング相当に過ぎなかったものの、平均464回循環し、254万7360シリング(現在のオーストリア・シリングで6400万シリング相当)に相当する経済活動が行われたそうである。ここでなんといっても注目すべきはその流通速度で、通常のオーストリア・シリングに比べて約14倍という速度で流通することにより、国家通貨を上回る経済効果をもたらしたのである。
こうした成功を目の当たりにしたオーストリア各地の他の都市でも、地域通貨導入の機運が高まり、その数は200都市を超えた(森野、あべ、泉、2000年)。こうして地方独自の活動が活発になってくると、中央政府、中央銀行はこれらの活動の取り扱いについて考えざるを得なくなってくる。実際、1933年に入り、中央銀行はこれらの地域通貨を禁止する措置に出た。中央銀行はこの決定に対して人々から訴訟を起こされたが、最高裁での判決の末、中央銀行側が勝利した。こうして通貨は以前の通り中央銀行が独占的に発行するもののみが合法的なものとなり、すべての地域通貨は違法とされた。リエター(Lietaer,1999)によれば、地域通貨の活用によってほぼ完全雇用を実現していたヴェルグルは、以前の失業率30%の状態に逆戻りした。
このヴェルグルの例は、地域通貨が地域経済において一定の役割を果たしうることを示している。そして何よりも今後地域通貨を考えていく場合に、地域と国家の関係を十分に考える必要があるということを示している。より具体的にいえば、中央銀行が独占的に通貨を発行する経済制度、そして通貨に支えられる一国経済、さらにより大きなグローバル経済との関係を地方も考える必要があるということである。あるいは、地域通貨の問題は限られた地域のみで考える問題ではなく、国の中央政府もまた、考えていく必要のある問題だということである。
5.4.LETS(カナダ、バンクーバー島、1983-)
現在、世界で最も多い地域通貨システムはLETS (Local Exchange Trading System )である(Lietaer, 1999)。その最初のものは、1983年にカナダ、バンクーバー島のコモックスバレーでマイケル・リントンによって始められた。このLETSは地元経済の活性化を主たる目的として導入されたものであるが、これが世界に広まったのは、実はその経済に与える影響について着目されたというよりは、当初副次的な目的であった地域コミュニティ内での住民同士のつながりを深めるという効果に注目が集まったからであった。
LETS導入のそもそもの動機は、コモックスバレーの不況にあった。不況の原因は漁獲量の激減によるとも(Lietaer, 1999)、米軍基地が他地域に移設したこと、木材加工所の閉鎖(森野、あべ、泉、2000年)ともいわれている。とにかく1980年代のコモックスバレーは深刻な不況に喘ぎ、失業率も急上昇した。このような不況状況を打開するために、マイケル・リントンとトーマス・グレコ(Thomas Greco)を中心とするグループによって、LETSは始められたのである。
LETSのそもそものアイディアは、次のようなものであった。コモックスバレーのような地方の小都市地域では、カナダドルは地域から大都市へと流出するばかりで、地域内に留まって循環しない。この通貨の不足、人体に例えれば血液循環の不足が不況の原因である。コモックスバレー地方にはモノも人も大勢いるので、これらの間を取り持ち、価値を循環させる仕組みさえつくればよいのではないか、というものである。
では、実際にLETSを使ってどのように取引が行われるかをみてみよう 。以下、リエターがトーマス・グレコ(Thomas Greco) をもとに書いた説明を参考に、実際の動きを具体例で説明する。LETSに参加しようとする人は、まず少額の入会費と年会費とを支払って、LETSのコーディネートを行う非営利組織に入会する。例えばエイミーは5ドルの入会金と10ドルの年会費を払って、地域のLETS「グリーン・ダラー」に参加した。エイミーの口座残高はゼロから始まる。彼女は地域の掲示板に、セーラが自動車のチューン・アップを、ジョンが虫歯の治療を提供していることを見つける。その掲示板には、ハロルドが焼きたての大麦パンを欲しているとも書いてある。エイミーは、この中の誰とでも何か交換できそうだ、と感じる。早速セーラに連絡をとり、車のチューン・アップをしてもらう代わりに「30グリーンダラーズ」と新品のプラグの設置費として20ドルの現金を支払うことにした。この際、口座残高はマイナスになっても構わない。またジョンには虫歯の治療を50グリーンダラーズと10ドルの現金を支払ってしてもらうことにした。そしてハロルドには、10グリーンダラーズをもらって自家製の新鮮なパンを二つ渡すと、彼はついでにエイミーの農園で育てた野菜もいくつか30グリーンダラーズで買っていった。
この交易のなかで、グリーンダラーズの動きが電話や書き込みで記録されていく。エイミーは110ドル相当のモノとサービスを手に入れるのに、現金は30ドルだけ使ったことになる。それだけではなく、彼女はこれで40グリーンダラーズをそのコミュニティで使えることになった。このシステムでは、通常のドルが人々をお互いに競争させ敵対関係に陥らせるようなことは起きていない。――残高に利子がかからないシステムだからである(Lietaer, 1999, 邦訳184-185ページ)。
このLETSでは、紙幣のような実在の貨幣は使わない。会員は取引をするたびにプラスのポイントかマイナスのポイントが口座に記録される。こうして、マイナスのポイントを発行する人は、銀行がローンの貸し出しによってお金を発行するように、個人がお金を発行することになる。各人は必要に応じてお金を発行するので、理論上インフレは起きない。利子もゼロなので、残高にマイナスが続く状態でも、負債が膨らむということはない。もっとも、あまり負債を貯めすぎる、すなわち自分では他人にサービスせず、人からサービスを受けるばかりの状態が続くとグループから注意がくることになる。
このLETSの特徴は、完全に相互信用にもとづいていることである。だから、大きなマイナスを貯めたまま脱退して、不当利得を得ようという動機で参加する人が出て来うるということは考えない。また仮に万が一そうなっても、全体の中でそうした損失がそれほど大きな割合になるとは考えない。逆に、同じコミュニティに住む他人を信頼して仕事を頼みあうところから全てが始まるので、使用を続けるうちにコミュニティ内の相互扶助が活発になるというわけである。この点が、冒頭に述べたように、経済的効果は期待したほどあがらず、それよりも地域コミュニティ内での住民同士のつながりといった効果の方に注目が集まるゆえんである。
LETSは様々なバリエーションとともに、イギリス、フランス、アメリカ、ニュージーランド、日本などに広がっている。その数は、イギリス500、フランス225、ドイツ200、アメリカ110、オランダ90、ニュージーランド70、ベルギー29、カナダ27といったところである。また、LETS以外の新しい地域通貨を設計する人たちにも多く参照されている。そのうちの一つが、次節で述べるクリンと、そのアイディアのもととなったエコマネーである。
5.5.クリン(北海道栗山町、2000-)
日本国内にも多種多様な地域通貨はあるが、中でも大きな影響力を持つものの一つが、北海道夕張郡栗山町で流通実験が続けられている、クリン である。クリンは、地域通貨の一種である「エコマネー」を提唱している加藤敏春氏と栗山町の有志グループによって始められたもので、全国にあるエコマネーの中でももっとも中心的なものである。この種のエコマネーを推進している主な団体は、平成14年(2002年)3月現在、55団体ある(エコマネー・ネットワークのサイトhttp://www.ecomoney.net/map.htmlより)。このエコマネーの特徴は、政府でもなく市場でもない「第3のセクター」、つまり市民社会の中でのみ通用する通貨を目指している点である。加藤は、『エコマネーの新世紀』 のなかで、次のように述べている。
2001年現在、われわれは21世紀を迎えたばかりであるが、よく眼を凝らせてみると、21世紀を形作る大きなトレンドが、怒涛のようにわれわれを襲ってきていることが分かる。地球環境問題や高齢化問題に代表される多様化を求める流れと、金融ビッグバンに象徴されるマネー経済化の流れである。(中略)われわれにとっては、多様化へのベクトルと単一化へのベクトルをうまく調和させた社会構造を作ること、市場経済の下での多様な社会のあり方を構築することが21世紀の課題である。(中略)まず、多様化のベクトルが働く領域、具体的には環境、福祉、文化などの分野における「共」=ボランティア経済の自立化を図ることが必要である。(中略)ボランティア経済の自立化を図るためには、ボランティア経済で流通する“貨幣”を独自の交流手段として登場させる必要がある。これが後述するエコマネーである。
このエコマネーにおいては、「共」=ボランティア経済あるいは市民社会の自立ということが強調されるあまり、「公」=行政によるサービスの提供と、「私」=市場メカニズムを通じた民間事業者によるサービスの提供との両方から、「共」の分野を切り離すことに力が注がれている。つまり、政府との関係においては、地域通貨の運営、発行主体として政府部門が考えられることは中央、地方にかかわらずない。市場との関係においては、地域通貨を使って取引される財の中に、市場で一般の国家通貨を使って取引される財をも幅広く含めようとはしないし、地域通貨と国家通貨の交換、併用も想定されていない。
この考え方には、理念として純粋で分かりやすい面はある。そしてそのことが、日本各地で地域通貨の導入を考える団体から参考にされていることの一員であろう。しかし、このエコマネーはその純粋さゆえに弱点も抱えている。この弱点を、クリンのデータをもとに見てみたい。
クリンの弱点は、流通量の少なさである。平成13年9月より始められた第3次流通実験のデータによると、参加登録者644人に対して、利用した人数は183人(28.4%)、利用回数は205回であった(平成14年2月24日現在) 。利用者一人当たりの平均利用回数も1.12回である。なお、利用者率に関しては計測期間が長くなればそれだけ増えるため、第1次、第2次流通実験では7割程度となっている。しかし平均利用回数に関しては、2回に達していない 。つまり、参加登録してはみたものの、実際には使用しなかった人がある程度いる上、利用した人に関しても、多くの人は1回試してみたきり、ということになる。
この流通量の少なさの一つの大きな原因は、使う機会の少なさである。第2次試験流通後のアンケートによれば、クリンを利用しなかったと答えた130人のうち、120人(92.3%)が忙しかったことを、112人(86.2%)が依頼がなかったことを挙げている。(『くりやまエコマネー第2次試験流通報告書』より)。ここでは以下のようなことがいえるであろう。第一に、「忙しかった」ので利用しなかったということは、クリンで扱われるサービスが「共」=ボランティア経済の範疇に入るものであったため、ボランティア活動に参加する時間のなかなか取れない人たちの参加率が低下したと考えられる。第二に、「依頼がなかった」ために利用しなかったということは、逆に頼む側からすると、依頼したいようなサービスがなかったことが考えられる。つまり、時間的にも内容的にも、クリンを使う機会が少なかったということである。よって、あまりボランティア経済にこだわりすぎると、地域通貨の使用料が伸び悩む原因となりうる。
5.6.ラブス(神奈川県大和市、2001-)
地域通貨の運営に、地方自治体が大きな役割を果たしているところもある。その例として、神奈川県の大和市をみてみよう。ここでは行政と市民が一体となって「LOVES (LOcal Value Exchange System)」という地域通貨の取り組みを進めている。ここでは地域通貨の運営に必要な設備投資は市が負担し、運営は市民参加の運営員会が行っている。大和市の地域通貨で特徴的なのは、ICカードを利用した電子地域通貨であることだろう。一般的には紙幣タイプ、通帳タイプのものが多い。ICカードは、現在のところ1枚約1000円するといわれている。大和市のケースでは、これを参加者約9万人に対して発行したというから、ICカードの導入だけでも相当な金額が動くことになる。これだけの規模のものができるのも、自治体が関与しているからともいえる。ちなみに、平成14年度の大和市の予算では、「ICカード普及事業費」として4435万円が計上されている。内容は、ICカードの発行や、店舗等に配置するLOVESシステム等の保守管理、定着活動などである。ここで、大和市の予算で「地域通貨普及事業費」ではなく、「ICカード普及事業費」となっているのには訳がある。それは、この事業が経済産業省(旧通商産業省)の「ICカードの普及等によるIT装備都市研究事業」として行われているからである。これにより、ICカードはもちろん、それを運用するためのシステムの開発や整備の費用を国が負担することになっている。この事業では、総事業費 442,589,835円の事業計画が作成された。本来、地域通貨は地域住民が自発的に、地域独自のものとして行うことに意味があろう。しかし、何も大和市に限ったことではないが、地域通貨の導入を検討するに当たっても国から予算が付くかどうかといった要素を無視し得ないのが、現在の地方自治の状況である。
いずれにせよ、大和市の例から分かることは、ICカードの利用や、その前提としてのコンピュータ・ネットワークの整備などを行って、市レベルの地域通貨を始めようとする場合、民間のNPOが独力で事業を行うことは、財政的にも非常に厳しいということである。
このラブスの使用できる場所はまだ限られており、ラブスに参加する市民が主催する講座の受講料や、いらなくなったものを他人に譲る際に利用できる程度である。しかし現在大和市ではラブスの運営委員会で、平成16年1月をめどに今後の展開を検討中である。具体的には、市営の施設内にある会議室、スポーツ施設などの利用料や、行政の手数料などの支払いがラブスでできないかなどが検討されている。あるいは、市の施設で使う備品、あるいは給食用の野菜などを購入する際の支払いの一部にラブスを利用することも考えられている。
5.7.Friendly favors(アメリカ、サンフランシスコ、1999-)
次に、大和市とは対照的に、政府部門とのかかわりを極力避けたネットワークである、フレンドリー・フェイバーの例を見る。ここでの記述は、筆者が以前書いた文章である、「地域通貨と税制を用いた公共空間の再編−地域通貨国際会議から」 を参考にしていることをお断りしておく。
サンフランシスコに本拠を置くフレンドリー・フェイバーの主催者、セルジオ・ラブ(Sergio Lub)氏は3つのパスポートを持っている。一つは両親の祖国であるロシアのパスポート。一つは生まれた国であるアルゼンチンのパスポート。そしてもう一つが現在生活の拠点としているアメリカのパスポートである。ロシア(旧ソ連)、アルゼンチンという激動を経験した国を見てきたラブ氏にとって、国家とは脆く頼りないものだった。そんなときに助けとなったのは、いつも友人たちのネットワークだったという。この友人たちとの助け合いのネットワークをネット上に構築したのが「フレンドリー・フェイバー」である。フレンドリー・フェイバーのサイト上では、各メンバーが自分の提供できるサービス、提供してもらいたいサービスを登録し、「Thank you」という単位でサービスのやり取りをする。ラブ氏に限らず、地域通貨に取り組んでいる人たちには、国家に頼らずに生きていこうとする人たちが多い。これは日本人に関しても同様である。しかし、国家の役割をまったく否定しているわけではない。国家に対して冷静な目を向けつつも、最低限のところではその役割を認めている。要は、お互いに干渉せず、できる範囲のことを適切にやっていけばいいというようなところである。
こうした取り組みにおいて問題となってくるのは、既存の社会システムとの兼ね合いである。例えば「フレンドリー・フェイバー」において医者のA氏が弁護士のB氏の治療を引き受ける代わりに、B氏がA氏の弁護をしたとしよう。そしてその対価を相殺してしまった場合、見かけ上の収入は減り、本来納めるべき税金の額が減ることになる。このことに対してラブ氏の見解では、自分は実業家としてもともと多額の税金を納めていること、にもかかわらず税金の使い道については自分で選べない事実が示された。さらに、子供と老人はお金を介在させないで助け合う「ギフト経済」の中に生きているのに、生産年齢の間だけこの「ギフト経済」の中に生きることを否定することはおかしいとの主張があった。よく考えてみれば、現在でも主婦(主夫)の家事サービスについて売り上げを計上して税金をかけるなどということは行われていないし、隣近所との助け合いでもそうである。こうした助け合いの部分について、サービスの交換に地域通貨を用いるようになったからといって即課税というのはナンセンスな部分もあるだろう。どこまでが商売で、どこまでが助け合いかは、社会的なバランスの中で判断するしかない。もしこうした問題を厳密に避けようとすれば、上に挙げた弁護や治療といった現行の経済システムの中でも商売として成り立つサービスの交換を地域通貨の取引から除外し、隣近所のちょっとした助け合いやボランティア活動などでのみ使うしかない。または、すべての地域通貨での収入を円収入と同様にみなして課税するしかない。
このフレンドリー・フェイバーの場合、そもそもの出発点は、国家が十分に自分たちの生活を保障してくれていないという状況であった。逆にセルジオ・ラブ氏にとって国家が十分に生活を保障してくれるような存在であったならば、このような地域通貨は誕生していなかったかもしれない。つまり、地域通貨を考える場合、国家あるいは地方自治政府などの役割との兼ね合いを、考える必要があるということである。より具体的にいえば、国家が税金を徴収してサービスを提供することの合理性と、税金を支払う能力のある市民が税金相当分の支援を、サービスを必要としている他の市民に直接提供することの合理性を比較する必要がでてくる。
5.8.地域通貨の「成功」判定基準
ここで、ある地域通貨が「成功」したと判定するための基準について考察する。まず、地域通貨が短期的プロジェクトのツールとして一時的に使われた場合のプロジェクト目的の成否というレベルと、地域通貨を市民社会内部の恒久的な価値循環システムとして導入した場合の地域通貨システム自体の成否というレベルに分けて考える。その上で、後者についての「成功」判定基準となる「存続期間」と「流通量」の2点を挙げて、ケーススタディを参考にしながら詳述する。
もっとも地域通貨の成否といっても、この章でみたものも含めて、多くの地域通貨はまだその導入から2,3年しか経っていない。栗山町のクリンのように試行錯誤を繰り返しているものもあり、大和市のラブスのように現在次の段階に向かっての検討を進めているものもある。こうした段階で、個々の地域通貨の成否について論じるのは時期尚早ではあるが、様々な取り組みの中からその特徴的な要素を取り出して検討することは、今後新たな地域通貨を設計する際、あるいは既存の地域通貨をよりよいものにしていく際に非常に役に立つものであろう。
まず考えなくてはならないのは、地域通貨を利用したプロジェクトが始められた目的は何であったかということである。このプロジェクトの目的を考えた場合、成功とはすなわちその目的への到達度の度合いである。例えば1930年代に導入されたスイスのヴィアやオーストリアのヴェルグルは、不況の克服や失業率の低下が目的であった。よって、このプロジェクトが成功したといえるか否かは、どのくらい景気がよくなったか、またはどれだけ失業率が低下したかによって測られることになろう。大和市のラブスの場合、大和市にとってはラブスという地域通貨による地域経済の活性化、地域コミュニティ内交流の拡大、行政への市民参加などの目標があるだろうし、経済産業省としてはICカードを利用した行政ネットワークさえできればよいのかもしれない。この場合は複数の主体が関与しているので、誰にとっての成功であるかということについても考える必要が出てくる。しかしここでは、こうした地域通貨がツールとして使われた、あるいは使われているプロジェクト自体の成否について詳しく論ずることはしない。そうしたことはより詳細な個々の事例研究に任せることとしよう。それよりもここでは、地域通貨というシステムが、ちんと機能するシステムなのかを考えてみたい。つまり、地域通貨というシステムそのものについて考えてみたい。
地域通貨システム自体の成功を語る場合の要素としては、その地域通貨の存続期間と流通量をもって判断するのが適当であろう。なぜならば、その存続期間が長ければ、それだけ長きに渡って人々から支持されていることの証明であるし、その流通量が多ければ、それだけ利用価値が高いということの証明であるからだ。
この二つの観点から見た場合、まさに成功しているといえる代表格が、スイスのヴィアであろう。その存続期間も1934年から2003年現在までで68年以上を数える。その流通量も、1994年の段階で25億スイスフラン(2000億円以上)に上っている。その他の地域通貨については、1930年代から残っているものはなく、次に地域通貨が次々と導入され始めるのは1980年代のことになる。
1980年代以後のものでもっとも長く続いていると思われるのは、LETSである。LETSはカナダ、バンクーバー島のコモックスバレーで1983年に始まり、2003年現在で20年の歴史を持つ。このほか、カナダ、トロント市のトロント・ダラーは1991年の開始以来12年以上の歴史を持つ。こうして新しく始められたものでも10年、20年といった歴史を重ねて、現在もなお発展を続けているということは、地域通貨という手段が、単にアドホックな手段としてではなく、持続可能な手段であるという事実を示している。
流通量に関しては、各地域通貨ごとにかなりのばらつきがある。というのも、地域通貨の商業的利用を認めるか否かによって、かなりの開きが出るからである。例えばクリンやLETSのように、市場経済システムにのらないボランティア的なもののみを対象にしたものはその流通量は少なく、またそもそもその流通量をデータとして測定していないものがほとんどである。なぜならば、ボランティア活動に対して価格設定をするのが難しい上、相手との関係を結ぶことが重要であって、実際の金額はあまり関係ないという意識が働くからである。それに対して、商店で食糧を購入したり、喫茶店でコーヒーを飲んだりといった一般の消費財を購入する場合をも地域通貨を使用する対象とした場合には、金額ベースの流通量は多くなるし、主催団体でも流通量をデータとしてきちんと持っている。例えば前述のヴィアの場合には1994年度で25億スイスフラン(2000億円以上)である。また、トロント・ダラーの場合には、これは同市内のセントローレンス・マーケットで使用されているものであるが、1999年4月には4万5000トロント・ダラー、7月には6万トロント・ダラー、12月の時点では8万トロント・ダラー以上が流通している(森野、あべ、泉、200年、78ページ)。
こうして、現在の国家通貨とも併用する形で、通常の一般消費財をも扱う地域通貨の利用は広まっているのに対して、ボランティア経済に特化した地域通貨は苦戦しているのが現状である。例えばクリンの場合には、2000年9月から11月の第2次流通実験で交換されたクリンの量は、515,100クリンであった 。こうした流通量の少なさは、前述した利用人数の低迷、ほとんど1回きりという一人当たり使用回数の少なさなどを反映している。
第6章 地域通貨に対する批判
6.1.地域通貨関係者からの批判前章では、存続期間と流通量という地域通貨の成功の条件をあげて考えるとともに、ボランティア経済に特化した地域通貨が流通量の点で苦戦しているという現実も見た。この流通量の少なさという点をとって、地域通貨はツールとして有効ではないという主張をする人もいる。
こうした中で、多くの地域通貨に取り組む団体は年数を重ねる中でこの問題は解決されると考えて、日々普及へ向けての努力を重ねている。あるいは、こうした問題をそもそも問題と感じていない人たちも多い。ある関係者の語ったところによると、地域通貨の利用によって一つでも「いいこと」がなされたならばそれが成功であり、流通量の多少、すなわちどれだけ多くの「いいこと」がなされたかどうかは問題ではないというのだ。こうした考え方は、地域通貨を現在の社会システムはそのままに、そしてその上にプラスの効果を望むような場合には妥当な意見だといえるだろう。しかし、本論文での立場のように、地域通貨を現在の社会システムの問題点を改善していくツールとしても考えた場合には、ある程度量的要素を考えざるを得ない。
この地域通貨を社会再編ツールと考えた場合の量的要素の問題点を取り上げて、自分たちの地域通貨は失敗だったとする考え方が、日本における最初の地域通貨ブームから2,3年経った現在、出始めている。LETSをもとに、京都で「Q」という地域通貨を考案、発行してきた柄谷行人は、「Q」を運営するNAM(New Assosiationist Movement)のウェブサイトの中で、次のように述べている。
昨年の11月に、私はこのフォーラムで「Qが始まった」というエッセイを書いた。ちょうど一年後に、私はこう言わなければならない。「Qは始まらなかった」と。すなわち、地域通貨と称するQは、ついに「通貨」にはならなかったのである。(中略)
私はQをいろんな形で宣伝してきた。それは会員が増えたら、取引が具体的に増えるだろうと考えたからである。しかし、会員が増えても、すこしも取引は増えなかった。NAMの会員の間のやりとりが増えただけで、具体的な物の取引は、ほとんどない。Qがすこしも流通していないことは、取引の実態を調べてみれば明らかである 。
問題はやはり、通貨としての流通量の少なさである。柄谷は、取引量が増えなかった原因について、第一に取引されるものがなかったことを挙げている。これはつまり、取引対象をボランティア経済に属する相互扶助的サービスにのみ限定し、一般消費財の取引を排除し、国家通貨である円との併用を考えなかったからである。この点について柄谷は次のように続けている。
なぜQは流通しないか。一方で、ある人たちはQを得ても、それで何も買うものがなく、他方で、ある人たちはQを得る方法がないからだ。もちろん、多くのNAMの人たちが、取引の場をつくり、Qを実際的に使えるものにしようと努力してきたが、それは少しもうまくいかなかった。それは、今後、どんなに努力しても同じである。(中略)
私はQの欠陥を感じながら、それはQがまだ十分に広がっていないからだと考えた。というより、そう考えるように努めてきた。NAMの会員にQに入ることを義務づけてQを広げるようにしようという案に賛成したのも、そのためである。当然ながら、これは、QをNAMの所有物にしようという考えではまったくない。その反対に、Qが流通していないから、何とかしようとしてきただけなのである。
LETSの原理は、本来二者間の互酬制を多角化し市場化したものである。したがって、基本は互酬制であって、労働価値のようなものにもとづかない。ところが、それを小さな共同体より大きな規模にひろげると、互酬制だけではすまなくなる。暗黙に、古典経済学の労働価値説をとることになる。結局、Qは、オーウェンやプルードンが構想した労働貨幣の類と違わない。それらは、マルクスが批判したように、暗黙に貨幣によって社会的に規制された価値を表示するだけであって、それ自体が通貨として流通する力をもっていない。
地域通貨の第一の目的が、「共」=ボランティア経済のセクターの自立と活性化にあるとしても、それが通貨である以上、市場との関連を完全に断ち切るのは難しい。また、例えば環境保護活動グループが有機無農薬野菜を農家から直接買う場合のように、形としてはモノであるが、そのモノとしての価値よりも苦労して有機無農薬栽培を行ったことに対して対価を支払いたい場合もあるだろう。このようにボランティア経済の中で評価される自然環境、文化、伝統などがモノに対する付加価値として備えら得ている場合、モノの取引を制限していては付加価値の流通もままならない。
そこで柄谷は、国家通貨である円と併用される新しい地域通貨を提案している。
しかし、そこであきらめる必要はない。われわれはLETSのなかに、これまでの労働貨幣になかった可能性を見出している。とりわけ、通貨の発行権(主権)が個々人にあるというLETSの考えは、重要である。(中略)
であれば、われわれは、LETS的でありつつ、なお、それが小さな共同体を超えて流通するような方法を編み出さなければならない。そして、私は、原祐人氏が構想した市民通貨Lに、ついにその鍵を見出した。というよりも、それによってはじめて、Qの破産が明らかとなったのである。
市民通貨Lの詳細をここで述べることはできない。基本的なコンセプトだけを示すにとどめる。簡単にいうと、大きな商店が客に対してペイバックするポイントカードやマイレージに似ている。通常、ポイントは、その店にしか通用しないが、そのポイントを別の店、さらに、どの店でも使えるようにしたら、どうなるか。実際、そのような試みはすでに一部でなされている。しかし、そこに二つの限界がある。一つは、それが大商店や大企業の独占的利益を強化するためになされていることであり、第二に、それが一般的に流通する通貨になりえないことである。
それに対して、市民通貨Lは、中小商店・企業を中心にし、大資本の独占に対抗するものである。さらに、市民通貨Lがポイントカードの類と異なるのは、各企業がLを、別の企業との取引においても発行することができる点である。(中略)
市民通貨Lは、円から離れて作られたものではない。それは資本制経済が生み出したシステムを逆用するものであり、いわば円にとりついたガンのようなものである。市民通貨Lにもとづく経済圏を増殖させることは、ガンである資本制経済に対する対抗ガンの運動である。円が流通するかぎり、Lは流通する。無理にLを取り除けば、円市場経済も死んでしまう。
この考え方は、スイスのヴィアに似ている。スイスの場合も、スイス国内には中小企業が多く、ヴィアは中小企業のための地域通貨組合として機能している。
こうして、地域通貨の実施団体の内部からも批判が出るようになってきたが、それはやはり流通量の少なさに関してであった。この流通量の少なさを解決する上でもっとも重要なことの一つが、地域通貨を使える対象範囲を拡大するということである。ヴィアの例や、柄谷が最後に言及している地域通貨Lの例では、「市場」部門方向への拡大であったが、本論文では第7章で、「政府」部門方向への拡大をも考えてみたい。
6.2.国家通貨側からの批判
地域通貨の現実性に関して疑問を呈する率直な主張の一つに、「悪貨が良貨を駆逐する」という「グレシャムの法則」を根拠として、地域通貨のような性善説に立つ通貨はいずれ悪貨である国家通貨に駆逐されるというものがある。また、通常の感覚を持った人間であれば、マイナス利子の地域通貨が現在プラス利子の国家通貨と比べて好まれるはずがなく、いずれ使われなくなるというような反論を組み立てることも可能であろう。
しかし、このような主張は、人間を「ホモ・エコノミクス」としてのみ捉えている点での限界がある。多くの地域通貨関係者が語ったところによると、彼らは経済的合理性にもとづいて地域通貨運動に参加しているわけではない。むしろ、社会を良くするためならば、経済的には多少の自己負担をしてまででも、地域通貨を支持しようとしている。人間行動には経済的合理性以外の行動原理もあるのであり、地域通貨を支持している人々は、彼ら独自の原理に従って行動している。彼らの行動原理は地域によって、人によっていろいろではあるが、これこそ市民社会の自立を支える、市民社会独自の行動原理なのである。よって、市場経済万能主義に疑問を呈し、こうした独自の行動原理をとる市民の行動を、経済的尺度で判断することの妥当性はそもそも低い。
または同じ問題に対して、経済学的議論の枠内から反論することも可能である。例えば、以下のような反論がある。中込正樹は、ハイエク の「貨幣発行自由化論」をもとに、まずはシルビオ・ゲゼル(Silvio Gezell)によって考え出されたマイナス利子のスタンプ券 に対する異見を紹介している。
つまりハイエクの「貨幣発行自由化論」は、多元的な貨幣発行が競争的に行われることの便益は、政府の通貨発行の独占から生じるインフレーションの必然性を根本的に解消することにあると主張する。これは明らかにゲゼル流の「スタンプ貨幣」の主張と根本的に異なっている。具体的にこの著作は、ゲゼル理論を批判している。ゲゼル理論は、政府の貨幣発行の独占が「不当な(貨幣供給の)制限」をもたらすものであることを主張し、「より多くの貨幣を欲しいがために(貨幣の)自由発行を扇動」していると断じている。上の引用文の最後の部分は、こうした点に関して、ゲゼル理論を皮肉ったものである。つまり、ゲゼル流の「消耗貨幣」は、実は非中央政府によって発行される以前に、実質的には恒常的なインフレ体質を有する中央政府によって、「インフレによる目減りする通貨」として供給されてきたのではないかと述べている。
つまり、ゲゼルが論じているような「消耗貨幣」は、実はインフレーションによる実質利子率の低下によって、国家通貨レベルで既に実現しているというのである。そこで、中込は、地域通貨が経済に安定性をもたらす効果に着目している。ここで中込は、まず政府の貨幣独占がもっていた「利点」について、貨幣経済が未発達の段階においては、貨幣経済を広めるために「単一の容易に識別可能な種類の貨幣がたぶん大いに役に立ったことと思われる」。そして「大きな商業中心地以外では、政府のみが」このような通貨を発行する権威者となりえたとまとめている。しかし政府が貨幣発行の独占権を持つことの便益は、「市場経済の初期段階」においては一時的に認められるが、よく管理された地域通貨のような「インフレを伴わない『信頼に足る貨幣』」の使用機会を失ってまで認められるものではないとしている。
ではなぜ「信頼に足る貨幣」である地域通貨はインフレを起こさず経済的な安定を実現するのであろうか。中込は、再びハイエクを引用しながら、民間に通貨の発行を許可すると通貨間に競争が生じ、その結果各通貨の発行機関は通貨の価値を安定させる(=競争に勝つ)ために、発行量を規制することになるという。すると、政府もまた競争に勝つために発行量を大幅に制限せざるを得なくなり、かくしてインフレが追放されるのである。つまり、貨幣間の競争によって、「良貨が悪化を駆逐する」という、グレシャムの法則とは逆の自体がおきるのである。しかもこの過程は、「政府の『慈悲心』や『知力・理解力』から生まれるものではなく、競争する民間機関の『利益に対する配慮からもたらされる』ものであると強調される(中込、2001年、73-74ページ。)
こうして、経済学的議論においても、地域通貨に対する疑問が払拭された。さらに、中込は、結局ゲゼルのようにコミュニティ側に立とうが、ハイエクのように自由経済の衣を纏おうが、結局いっていることは同じになるのではないかと続けている。
ゲゼル的アプローチはデフレ的経済状況のみに対する考察であり、自己の対インフレ的分析と正反対の位置にあると強調することはできない。(中略)対インフレ的な含意を主張するゲゼル流のアプローチは、見かけ上はともかくとして、こうした経済の動学的変化全体を考慮すると、実は「同じ理論的方向性」を持ったものであったともいえるのではないか(中込、2001年、75ページ)。
本論文の目的とするところは、持続可能な社会を創造するツールとしての地域通貨の役割を考えることであった。持続可能な社会を支える地域通貨は、当然それ自身持続可能でなくてはならない。しかし、これまでの議論で、地域通貨の持続可能性について、二つの大きな証明がなされたことになる。第一に、「グレシャムの法則」にしたがって、地域通貨が淘汰されることはない。第二に、ゲゼルが想定したデフレ的状況でも、ハイエクが想定したインフレ的状況でも地域通貨は経済に安定をもたらすものとして機能するならば、つまりどのような社会状況下でも、地域通貨は機能するということである。よって、現在各地で導入が進む地域通貨も一過性のものではなく、今後10年100年と続き、市民社会を支えていく可能性がある。
6.3.地域通貨運動に対する批判
これまで検証してきたのは、地域通貨自体に対する批判を巡る議論であった。しかし、地域通貨に対する批判には、こうした本質論とは関係ないところで議論が進むものもある。それがどういう議論かということを一言でいえば、地域通貨運動を推進しているのはソ連の崩壊によって発言力を失ったマルクス経済学者たちであり、もともとマルクスとは何の関係もない地域通貨を彼らの新たなよりどころにしているという議論である。地域通貨そのものを論ずることよりも、旧来的な思想対立の戦場を地域通貨に移したことが主たる目的ではあるが、その論点の中にはみるべきところがあったので、あえて取り上げたい。
特に批判の対象になっているのは、地域通貨Qに取り組んでいるNAMである。山根は、LETSを改良した地域通貨であるQによってNAMが経済社会システムを構想するのは無理であるとして、以下のように述べている 。
あたかもLETSが「国家と資本の支配」を突き破り、「可能なるコミュニズム」社会において国民貨幣にとってかわる通貨足りうるかのようだ。だが、LETSがそうした共産主義の貨幣・未来の貨幣となることはありえない。
すでに現実のLETSに即して分析してきたように、LETSは純粋な交換システムとして考えるのならばさまざまな不都合や不便さ、モラルハザードの問題などを抱えていて、「村おこし」といった経済効果すら限定的なものにすぎない。LETSを基礎にした経済社会システムを構想するなんて、とてもむりだ。
つまるところNAMの限界は、柄谷氏をはじめとした諸氏の思想を、「これこそ本当のマルクス」「可能なるコミュニズム」と規定することによって、「運動の原理」にまで高めあげてしまっているところにある。(中略)LETSを「核」とするNAM原理の、いったいどこが「マルクス的」なのか(山根、2001年、56-57ページ)。
山根の批判の要点をあげると、第一にLETSの経済効果は限定的であり、第二にLETSとマルクスを結び付けているということであろう。第一の経済効果が限定的であるということは、既に第一節において明らかにしてきた。経済効果が限定的であるとは、流通量が少ないことと同義である。第二のLETSとマルクス主義思想の結びつきであるが、この論点によって、政治的エコロジーという概念の必要性が一層明らかになる。地域通貨というシステムには、マルクス主義であれ何であれ、何らかの形で政治的理念が結びつかざるを得ないことを示しているのである。ではなぜそこで政治的エコロジーなのかという問題が出てくるだろう。地域通貨というものは、人間が用いる技術の一つである。一般的には技術というものは中立的で、技術が埋め込まれた社会的文脈によって技術の持つ意味合いがかわると理解されることが多いが、ラングドン・ウィナー(Langdon Winner)らのように技術的なものが政治性を持っているという考え方もある 。このような考え方に立てば、地域通貨という技術がどのような政治的傾向を持つかが重要となるが、第2章と第3章の議論の中で、自立した市民社会の新しい内部通貨として働く地域通貨には、社会生活の重視や持続可能な社会システムを追求する政治的エコロジーを指向する傾向があることは明らかであろう。
6.4.批判を超えて
第一節では地域通貨Qの失敗を取り上げた。ここでの失敗は、流通量の少なさであったが、これは設計の仕方により改善できる。その方法とは、地域通貨を純粋な相互扶助のツールとするよりは、より適応範囲を広げて、ある程度経済的価値を持たせるということであった。そしてその方法には2つの方向性があり、市場部門方向への拡張と政府部門方向への拡張であるが、これまであまり取り上げられてこなかった政府部門方向への拡張方法を検討することにより、さらに地域通貨の可能性は広まる。第二節ではハイエクの自由貨幣論を取り上げることにより、地域通貨は本当に持続可能なのかという疑問に対して経済学的観点からも答えを出した。第三節では地域通貨が単にマルクス主義者の形を変えた活動の場になっているという批判に対し、地域通貨が本質的に抱える政治的エコロジーへの方向性を示すことによって応えた。
地域通貨も万能ではなく、いろいろな批判にさらされているのは見たとおりであるが、こうした批判に対して出した答えを追求してゆけば、よりよい地域通貨の設計ができるに違いない。
第7章 新しい「地域政府通貨」というかたち
7.1.現在の地域通貨運動の特徴ここまで、地域通貨が成功だといえるためには、その流通量を増やすことが重要であり、そのためには地域通貨の受け入れ先を拡大することが重要であるということを見てきた。ところで、これまでの例では、地域通貨をボランティア経済分野から市場経済分野方向に拡大するアイディアは見られたものの、拡大可能な方向性は、それだけであろうか。もう一つのセクターである、政府部門への拡大の方向性はないのであろうか。
この問いに答える前に、現在の地域通貨運動の特徴を抑えておく必要がある。その特徴が顕著に現れているのが、第5章第7節で取り上げた、フレンドリー・フェイバーである。このフレンドリー・フェイバーにおいては、創設者の生活が国家・政府という存在に振り回されてきたことがこの地域通貨創設のきっかけであった。あるいはクリンとその母体であるエコマネーについても、「共」という市民社会の新しいセクターを自立させることに重きが置かれているからか、政府の役割をかなり限定的に捉える傾向があった。このように地域通貨を始めるグループの中には、もはや政府には頼れない、あるいは頼りたくないという意識が強くあり、政府部門がこの地域通貨というものに関心を持つこと自体に拒否反応を示す人もいる。そのような人の中には、大和市のような地方自治体が地域通貨に関わることに対しても、あまり歓迎しない空気も強い。川野英二は、次のように述べている。
行政や企業が地域通貨に関わろうとするときには、これまでの延長線上の道具として、あるいはたんに新しいITシステムに地域通貨を導入するだけではうまく働く保証はない。海外の地域通貨の調査結果からも、人と人とのつながり(社会資本)の形成と拡大が地域通貨をうまく機能させる条件であることを無視してはならない。この間、トップダウン型動因による地域通貨の実験は日本で行われてきたが、地域通貨導入の仕掛けは、従来型の手法とさほど変わっていない。こうした実験結果がその後どのように生かされるのかは注目していきたいが、地域通貨は導入する主体であるNPOや行政、企業などいずれも自らの存立基盤そのものの問い直しを迫ってくるだろう。地域通貨は「補完」通貨ではあっても、たんに既存の制度の補完システムなのではなく、その理念は非常にラディカルである。
懸命な読者諸氏が感じているように、地域通貨には「通貨制度による国家統治に対するアンチテーゼ」という要素を含んでいることは否めない。(中略)
筆者は、地域通貨はボランティアネットワークからスタートしたものの、その実体は緩やかで、かつ肯定的な「アナーキズム」であると捉えている 。
一方で地方自治体の側でも、最近の地方分権の流れと住民参加を求める声に応えるための方法を模索するなか、地域通貨というアイディアに対して関心を示す自治体も多い。しかし、地方自治体がどこまで踏み込んでいいのかという点についての迷いも抱えている。自治体職員の間でも研究がなされているが 、「地方公共団体の取組と、社会貢献活動を行おうとするNPOや住民の活力を結びつけ、企業の協力も得ながら、両者が協働できる社会」を形成するための提言としては、地域通貨の導入支援プログラムの作成にとどまっている。地方自治とはなにか、公共とはなにか、税とはなにかにまで踏み込んだ研究には至っていない。
そのようななかで、一般的にいって、地域通貨運動は、非・脱・反政府的な考え方の下で進むケースが多くなる。
7.2.政府関与の利点
しかし、ここで本当に政府は積極的に関与すべきでないのかを検討してみたい。政府が地域通貨に関わることにやはり利点もあるのではないだろうか。この点について、政府のインフラ整備能力、税金という地域通貨の使い道、そして正統性の3点から筆者の考えを述べる。
第一に、政府にはインフラ整備能力がある。大和市の例でも見たように、ある程度以上の規模で地域通貨システムを構築しようとした場合、数千万、あるいは数億といった単位での資金が必要となってくる。このような大きな額の出費を考えた場合、対処できるNPOはほとんどないといってよいだろう。それに地域通貨自体もサービスを提供するための一種のインフラだと考えれば、これは地域内の一NPOにのみ整備を任せるのではなく、地方自治体が責任を持って整備するという考え方もある。
第二に、政府には税金という地域通貨の使い道をつくる能力がある。地域通貨の問題点の一つに、使う場所がないという問題があった。もし地域通貨で税金が支払えるとなったらば、税金は誰でも支払うものなので、使い道をつくることができる。ここで考えなくてはならないことは、政府は受け取った地域通貨をどうするのかという点である。まず最初の地域通貨の使い道であるが、これは地方政府が物資の調達、公共事業などを行う際の原資の一部として利用することが考えられる。たとえ市場部門での利用がまったくすすんでいなかったとしても、地方自治体から支払いを受ける企業は、その企業が納めなくてはならない税額を上限として、地方自治体から支払われる地域通貨を受け取ることができるだろう。当然、市場での流通が同時に進んでいれば、受け取り可能額も増えるであろう。ただし、この場合、想定される地域通貨は何でもいいというわけにはいかなくなる。各自が何の裏づけもないままに勝手に地域通貨を発行し、税金として納めたならば、財政は破綻する。よって、こうして税金と地域通貨の関係を考えた場合、地方自治体と市民とが協議会をつくって、税としても納められる、経済的価値を持った地域通貨を発行することが考えられる。その上で、そうして発行された通貨のみ、納税に使えるようにする。例えば大和市において、納税の際に使えるのはラブスのみで、市の中のさらに細かい単位で独自の地域通貨を発行していたとしても、それがラブスと交換可能でない限り、受け入れられないということである。これは何も、地方自治体のみが地域通貨を発行できるということにはとどまらない。例えば、あるNPOが、本来地方自治体が建設すべきであった老人ホームを建設、運営していたとしよう。そしてそのことによって、その地方自治体の支出が削減されたとする。この場合、そのNPOが地方自治体の支出削減分だけ地域通貨を発行して、それをもって納税しても、地方自治体になんらのマイナスがあるわけでもない。
第三に、政府には正統性が備わっている。もし地域通貨がある一定以上の規模で使用され、公共財の一定割合以上がその地域通貨ネットワークの中で提供されるようになったとしよう。こうしたとき、その地域通貨ネットワークの運営にあたる組織にはかなりの公共性が備わっているはずであるが、NPOのままではその組織の正統性に疑問が残る。この点、選挙で選ばれた首長を行政のトップとし、同じく選挙によって選ばれた議員のチェックを経て活動する地方自治体ならば、正統性の点で問題はない。よって、同じ事業を行うのならば、より正統性の担保された組織が行えるのならば、行った方がよい。もしNPOが選挙やくじといったプロセスを導入して 、地方自治体以上の正統性を備えようとするならば、それはある地方自治体の中にもう一つ地方自治体をつくることに他ならない。
7.3.政府関与が抱える課題
ここまで、政府関与の利点を見てきた。しかし、政府が関与するときには課題も存在する。その課題とは、排他性の問題と不作為の問題の2点である。
第一に、排他性の問題がある。地域通貨はその性質上、あるコミュニティ内でのみ通用するものである。そうすると、そのコミュニティに属さない人を必然的に排除することになる。ある自治体の中に3つの地域通貨コミュニティがあった場合、そのそれぞれに対して援助したりしなかったりすることに、問題はないのであろうか。この点について、ある自治体の政策担当者が語ったところによると、これまでは全員に共通の利益を追うことだけに自治体の仕事を限定しようという議論が主だったが、今後市民との協働を進めていくことになると、必ずしも全員に共通な利益でないものでも扱う必要が出てくると認識しているそうである。その際に自治体がかかわりを持つNPOを選ぶとしたならば、公共事業における指名競争入札のように、NPOに対しても一定の資格要件を求めることになる。このように現場レベルでは、既に「公共性」というものを従来の解釈どおりに捉えるのではなく、新しい時代背景に即して読み直そうという機運が出ている。
ここで参考になるのは、フランスの「公益調査」制度である。フランスでは民間の法人組織が公益的な性格を持つ施設を建設するさいに、デクレ(政令)による公益性の認定を受け、行政機関から特別の便宜と援助を受けるために公益調査が行われる。その結果にもとづいて所轄大臣が認可=「公益宣言」の是非を決める。この制度は、おもに特殊法人が道路、発電所などの建設をするさいに行われる 。この例では、対象は民間法人とはいえ主に特殊法人であり、適用範囲も建設業に関わっているため限定的であるが、日本で自治体が特定のNPOと地域通貨プロジェクトを行う際には、「公益調査」を行って、適当と認められれば「公益宣言」をするということが考えられる。
第二に政府・行政の不作為という問題がある。本来政府が行うべき仕事を、市民の自主性任せにしてしまうことにより、行政が本来行うべき仕事を行わない可能性がある。こうしたモラルハザードは、何が市民社会内部でできて、何ができないのかの徹底的な調査を行うことで防止することができる。理想としては、市民社会内部でできることは市民社会内部で行い、行政は行政にしかできないプロジェクトに集中する状態が望まれる。行政の不作為といっても、例えばリベラリズム政権と保守主義政権では行政の役割と認識する範囲が全く違う。だから、リベラリズム政権下では意図的な不作為とされることが、保守主義政権下では政府の役割の範囲を超えているという状態は普通にありえるのである。よって、この問題を解決するためには、まず市民社会内部で何ができて、何ができないのかを明らかにすることが必要なのである。もっとも、一般的にいって官僚組織は仕事を抱え込みたがる傾向にあるので、この問題についてはまったく考慮する必要がなくなる可能性もある。
第8章 結論と展望
8.1.総括ここまで、持続可能な社会を築いていくためには、自然保護だけではなく人間社会の環境をも持続的なものにする必要があることを、政治的エコロジーという理念を通して見てきた。そして人間社会の社会環境を持続可能なものにするためには、従来のリベラリズムと保守主義が考えていた「政府」と「市場」という二つのセクターに加えて、第三のセクター、すなわち「共」的空間、ボランティア経済、市民社会の確立が重要であることを見てきた。そして、政治的イニシアティヴによる問題解決の3段階論にもとづき、こうした理念を実現していくためにはシステム的な裏づけが必要であることを確認した。市民社会を確立するためには、地域通貨というシステムの導入が非常に有効なのである。
通貨には当初コミュニティ内部でお互いの関係を取り結ぶために用いられる内部通貨と、コミュニティの外部と交易をするために用いられる外部通貨があったのだが、次第に内部通貨は外部通貨に統合されていった。そうした中でコミュニティ内部の関係が希薄になっていったのだが、地域通貨にはこの関係を取り戻す働きがある。地域通貨にはまた、市場化されない価値の再発見という働きもある。経済的合理性以外の、自然環境やコミュニティ内の相互扶助、伝統文化の保護などを第一とする価値基準があるとすれば、地域通貨はこのような価値基準を体現するものとして設計することができる。地域通貨を設計する際には、長期にわたって存続できることと、ある程度の流通量を確保することが重要である。スイスのヴィアなど、地域通貨に経済的価値を持たせるような通貨は比較的多くの流通量を確保しているが、特にボランティア経済内でのお互いの助け合いに注目しているものは、なかなか取引が成立せず、苦戦している。そのような中、地域通貨に対していろいろな批判があることも見てきたが、取引対象を拡大して経済的価値を持たせることで、ある程度の流通量を確保すること、そして地域通貨というシステムが内包する政治的エコロジーへの指向性を引き出してやることで、対処が可能であった。
従来の研究では、地域通貨の使用可能性を高めるために、ヴィアやトロント・ダラーのように、ボランティア部門から市場部門へと広げるのがよいとされた。しかし、政府部門への広がりを深く研究したものはこれまでなかった。政府が関与するとしても、外野からNPOを支援するといった程度の考えであった。
そこで本論文では、第一に政府のインフラ整備能力、第二に税という地域通貨の使い道、そして第三に正統性の問題を考え、市民の自発的政治参加による本物の地方自治と、そのための新しい地域通貨を提案した。地域通貨を用いた市民社会の自立は、自発的市民による本物の地方自治政府の建設につながる。そのことによって、公共空間を独占し、市民社会をコントロールしてきた政府からの転換、つまり公共空間の再編がなされて生活重視の持続可能な市民社会が築かれることを明らかにした。まさにこの点にこそ、本論文の意義があったのである。
8.2.今後の課題
今後の課題としては、第一にこれまで政府が行ってきた公共サービスの提供を、地域通貨システムを用いて市民社会が自律的に融通しあうようになったとき、果たしてどれだけの行政サービスが市民社会の相互扶助でできるかの検討である。ここでは、市民がどれだけ社会貢献に力を割けるのかの検討とともに、どれだけ行政コストが削減されるのかの検討も必要であろう。行政コストの削減量が定量的に計算できれば、それによっていくらまで税金として地域通貨を受け入れられるかが判明する。こうした分析が行われれば、地域通貨と税・財政を一体として考える制度の設計が、具体的な段階に進むのである。
この際に参考になるのは、さわやか福祉財団のふれあい切符である。ふれあい切符は、健康な人が介護、家事援助などを行った場合、その労働時間を登録しておき、本人やその家族が介護等を必要としたときに、自分がなした労働の時間に応じて介護等のサービスを受けられるというものである 。介護保険制度の導入と共に、介護保険制度ではカバーされない追加の介護をふれあい切符システム行うことで、両者の併用を図っている。現在は、サービスの範囲を分けることで共存を図っているが、もし仮に全てがふれあい切符でまかなわれ、介護保険がいらなくなるときがきたらどのような影響が市民生活、財政にあるのかを予測するモデルケースとすることはできるであろう。もっとも、ふれあい切符が扱うのは介護のみなので、その他の公共サービスについても扱った場合にどのような事態になるのかは、慎重に検討する必要がある。
第二に、本論文で取り上げた地域通貨の例はいずれも先進国の事例であり、背景となる社会状況も、先進国のものを基準に話を進めている。途上国でもグローバル資本主義の暴走への対抗手段を持ち、コミュニティの伝統的な生活様式、文化を守るといった文脈では、地域通貨の果たす役割は十分考えられる。よって、地域通貨を行政の分野に広げることにより、政府と市民が一体となった本当の自治を実現するという本論文のアイディアが、途上国でどれだけ通用するかも今後の検討対象となろう。途上国の場合には日本のケースと全く違い、政治・行政機構が未発達で、中央政府の統治能力が地方にまできちんと行き届いてないケースも多い。そのような場合、何らかの協同組合や、伝統的あるいは外国のNGOによって組織された自治組織を、地域通貨システムの設計・運営主体と読み替えることもできる。あるいは、田中のように、グラミンバンクに代表されるようなマイクロクレジットと地域通貨とを重ね合わせてみるということもできよう。
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【ウェブサイト】
- Banque WIR: http://www.wir.ch/
- 地域通貨Q: http://www.q-project.org/
- エコマネー・ネットワーク: http://www.ecomoney.net/
- Friendly Favors: http://www.favors.org/FF/
- ふれあい切符: http://www.sawayakazaidan.or.jp/chiikitsuka/
- Ithaca Hours: http://www.lightlink.com/hours/ithacahours/
- くりやまエコマネー研究会: http://www.mskk.gr.jp/ecomoney/
- LETS: http://www.gmlets.u-net.com/
- NAM(New Associationist Movement): http://www.nam21.org/
- Open Money Project(LETS): http://www.openmoney.org/
- Transaction Net. :地域通貨に関する論文や、世界各地の地域通貨へのリンクがある
http://transaction.net/money/community/ - 大和市: http://www.city.yamato.kanagawa.jp/
- 財団法人ニューメディア開発協会: http://www.nmda.or.jp/








































