「今のままの生活を優先させるのか、それともゴミをまったく出さない生活にするのか」。
決して極論を言っているつもりはない。ゴミを大量に出す「豊かな」生活を楽しむ一方で、自分の身近な場所には「焼却場は作るな」「埋立地は作るな」と多くの人は考える。では、どうすればいいのか。人目につきにくい山中に不法投棄するのか、お金を払って発展途上国に引き取ってもらうのか、そのどちらも当然許される行為ではない。
ゴミを出して生活しているすべての人は、自分の出したゴミの処理に責任を持たなくてはならないはずである。私たちは一体いつまで、ゴミに対して無関心で居続けられるのだろうか。その限界は近づいている。
一般廃棄物と言われる、主に家庭から排出されるゴミは、直接市民の目に触れることもあり、近年住民の問題意識も高まってきた。
しかし、こと産業廃棄物と呼ばれる、メーカーなどから排出されるゴミを正しく処理することはかなり難しい。快適な現代生活を送るために、多くの物質が必要だと思われている。その製品を作る過程で、多くの産業廃棄物が発生する。それを適正に処分できていないことが、今、一番大きな問題ではないだろうか。
■私たちも責任者
大量のタイアが不法に、国立公園の一角に捨てられていた事件は記憶に新しい。自分自身、一市民の感覚として、何か遠い事件、自分とは関係のない問題のように感じていた。しかし、捨てられていたタイヤの多くは、私たちの日常生活に関わりの深い乗用車のものである。何気なく交換した時、ガソリンスタンドなどに処分を依頼したタイヤが、大切な自然を破壊したのだ。
私たちは知らず知らずのうちに、自らの周りを守るということのみに捕らわれ、より大きな環境破壊に手を貸しているかもしれない。その認識に立って、産業廃棄物がより正しく処理されることを真剣に考える必要がある。
不法投棄はなぜ起こるのだろうか。投棄を行った業者や排出元に、最も重い責任があるには違いないが、その前に、産業廃棄物を処理する施設の数が不足していることを忘れてはならない。つまり、いくら適正に処理したくても、物理的に不可能な状況となっているのだ。
■廃棄物焼却炉の建設
なぜ、処理施設が不足しているのか。例として、都市部の処理施設として最も代表的な「廃棄物焼却炉」を考えてみたい。実際、都市部において廃棄物焼却炉の建設は非常に難しい。それは、建設する地域の住民の同意をなかなか得られないからだ。
処理業者が焼却炉を建設しようと計画しても、住民との調整に数年を費やし、ついには断念するケース。また、調整金という名目で、地元にお金を使ったが、結局は同意が取れずに会社の経営が悪化するケースもある。
厳しい基準は無論必要だが、その技術的許可要件を満たしているにも関わらず、住民との摩擦を恐れ、最終的な許可条件に地元同意を必要とする行政のおよび腰も、廃棄物焼却炉建設を困難にしている要因のひとつと考えられる。
図は廃棄物焼却炉が設置を認められるまでのプロセスである。
建設計画→行政に相談→住民の同意→事前協議書提出→市町村への意見照会→市町村から住民への計画の確認→関係各課の確認→都市計画地方審議会への諮問等の回答、ここでようやく、法律で言う「通常の手続き」が始まることになっている。
つまり、法律上の手続きを進める前に、現実には条例などにより制約を受けるのだ。住民保護の観点から必要なプロセスとも考えられるが、一方で住民の感情的な反対への配慮も伺える。
■限界に達する前に
廃棄物焼却炉が必要なことは、住民にも理解できる。しかし自分たちの近くには作ってほしくない、というのがホンネだ。いわく、イメージが悪くなる、交通量が増える、大気が汚れる、人体に悪影響を与えるガスが発生するなどなど。さらにそのような住民の意識に同調して、自分の選挙での票取りのために反対する政治家や、条例で一切の廃棄物処理施設建設を禁止してしまった市町村などもある。
現在はそれでも問題がないかもしれない。しかし、長い目で見れば、自らの首を自らで締めていくような行動に等しい事例も数多く見受けられる。
住民の声には当然真摯に耳を傾ける必要があるが、「ゴミ処理場はとにかくいや」といった声、イメージのみの反対や、すでに技術的に克服されているにも関わらず、感情のみで反対されているものも少なくない。
たとえば焼却中に発生する排気ガスから、有毒ガスやばい塵などは技術的にはほぼ完全に除去されるようになっている。過去問題になった大気汚染物質は、今では発生しないのだ。
焼却炉を設置する側も、法律上の技術基準を満たしていることは当然として、その発生する排ガスの状態を常に監視できるシステムを行政と開発するなど、地球環境へのより細かい配慮を行い、住民の理解を得る努力が必要だ。また、廃棄物焼却炉は、地域のインフラの一端を担っているという認識のもと、余熱利用など地域への還元を進めるべきである。
一方で、私たち住民も産業廃棄物を間接的に排出し、その処理責任の幾分かは自らにあるのだということを認識する必要がある。その上に立ち、イメージではなく、現実的、技術的な部分で議論を行うことができるようになって初めて、ゴミ処理の問題も解決の糸口が見える。これは他人事、施設が近くにできる住民だけの問題ではない。私たちがゴミに対して無関心で居続けられる、その限界はもう目前なのだ。



















