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1993年度 地域から日本を変える1993年度 地域から日本を変える

1993年5月

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「大地震!会員活躍!」

村井嘉浩/松下政経塾第13期生
「家でのんびりくつろいでいたら急にグラグラとすごい揺れが起こり、その直後に電話で、役場のコンピュータが水浸しになっているからすぐに来いというのです。地震の被害で洪水はないだろうと不思議に思って出かけてみると、なんと役場の屋上にある給水タンクが倒れ、3階から1階まで水浸しだったんですよ」(標茶町役場行政開発係長 佐藤吉彦さん= 36 「地域から日本を変える」運動会員)。 

1月15日午後8時6分に起こったマグニチュード7.8の大地震(釧路沖地震)に見舞われた北海道で聞いた第一声だ。

 地震発生4日後の1月19日、私は役場の災害対策本部に加えてもらい、被害状況の調査のために標茶(しべちゃ)町(釧路市の北約50キロにある人口約1万1千人の町)へ出発した。

釧路空港から標茶町に向かう鉄道は、地震の影響で復旧まで半月程度かかる見通しとなっていた。そこで、レンタカーを借りて国道391号線を北上することにした。

事前の情報では、国道391号線(釧路−標茶間)は、16日午後復旧したということであったが、その状況は、何とか車が通行できるといった程度で、いたるところで路肩が崩れていたり地割れの場所に土を埋めていたりと、予想以上の被害の大きさに愕然とした。 今回の地震によって標茶町で最も被害が出たのは、ライフライン(上・下水道)であった。幸いなことに、標茶町では都市ガスを使用していなかったため、ガスの被害はなかった。また人的被害は、入院3人、外来28人と比較的少なかった。

 下水管が詰まったため、マンホールとマンホールの間をポンプで送るなどの処置を施したが、量に限界があるため、上水の使用にまで影響を及ぼし、町の基幹産業である酪農に大きな損害を与えた。

このため災害対策本部では、給水を第一優先に救援活動を行っていた。前述の佐藤さんも給水班の一員となり、広報車で1日3回、自衛隊の給水車とともに回っていた。私も給水活動の一部を手伝ったが、路面が凍結している中での作業は滑りやすく危険で骨のおれる仕事であった。

今回の地震の教訓は3つあるのではないか。

(1)「地域防災計画」に書かれている住民参加の救援活動はほとんど機能しなかったこと。

災害心理学によれば、人間は自分にとって都合の悪いことを考えまいとする潜在的防衛反応が働くらしい。そういった人間心理を知った上で、「住民参加」が可能な防災計画を作り、それらを住民によく知ってもらう方法を検討すべきだったこと。

(2)釧路市と周囲の町との連携・連絡がほとんど取られていなかったこと。

釧路支庁は、当初職員を現地に派遣することをしないで、各課がバラバラに各町に電話をして混乱に拍車をかけたそうである。支庁長が、標茶町に来町したのは、地震発生4日後であり、対応の悪さが非常に目についた。

(3)安全性と便利さを適正に満たす最適規模の都市作りが必要であること。

どの地方においても規模に違いはあるが、特定の自治体への一極化が進んでいる。今回の地震でも、釧路管内では、釧路市への一極集中が大きな被害を及ぼす要因になった(昭和36年に同じ釧路沖を震源とするマグニチュード7.0規模の地震があったが、被害は比較的軽かった)。

 島原や釧路での経験を活かし、災害に強い町づくりを進めることは、今後の自治体の大きな課題であろう。

1993年5月執筆
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