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1992年度 地域から日本を変える1992年度 地域から日本を変える

1992年12月

知的体力よ、鉄の村よ
−出雲・吉田村文化おこし師「藤原 洋48歳」

桑畠健也/松下政経塾第9期生
 藤原洋さんは縄文人だ。出雲という弥生農耕文化の発祥地にありながら、発想は狩猟文化そのものだ。強烈なリーダーシップで、人口2700人の島根県吉田村を引っ張った。 「私は過去の苦労話はしたくないし、苦労したとも思わない」。

 「私は一度も(「鉄の歴史村」を始めるために)先進地域の視察には行った事がありません。見てしまうとどうしてもそれに影響されてしまうから」

 藤原さんの話とは反対に、吉田村には視察者が絶えることはない。皆、吉田村に影響されるためにやってくる。これといった見所もなかった冴えない過疎の村に、この8年で成功した「鉄の歴史村」の秘訣を探りにくるのだ。

■一介の役場職員が鉄を見出す

 財団法人「鉄の歴史村地域振興財団」専務理事が藤原氏の現在の肩書。それ以前は吉田村役場の職員。

 一介の役場職員に過ぎなかった彼が「鉄の歴史博物館」「鉄の未来科学館」などの施設群や、それらの運営を含め吉田村をトータルにマネジメントする事業を立て続けに進めたのだった。最初は企画係長として、最後には収入役に次ぐ参事としてリードし続けた。財団の資金も「私ひとりで回って集めた」ほどである。口の悪い人に言わせればば「もうひとりの村長」。

 ではなぜ、吉田村が「鉄の歴史村」だったのか。

 「それは必然と言うしかないですね」。昭和58年ころ、町内外の人々との討論で「これからは、選択的に住むところを決める時代。そうなると経済的に豊なところばかりでなく文化的に豊かなところにも人が集まってくる時代がやってくる」。

 そうか。「地域の文化の資源調査を徹底的にやってみよう」「浮かび上がってきたのが<鉄>だった」「決して思い付きで<鉄>だったのではありません。思い付きはアマチュアの仕事」と割り切る。

■「たたら製鉄」は日本最古

 「鉄」といえば九州の八幡とか北海道の室蘭のがピンと来る。だが、近代製鉄技術が導入される以前にも、日本には「たたら製鉄」という技法があった。玉鋼(たまはがね)という極めて優秀な鉄を生み出していた。「菅谷たたら」だ。

 「たたら製鉄」とは、川や山から採れる砂鉄と、製鉄用の木炭を「たたら」と呼ばれる土で作った炉の中で3日3晩熱して、玉鋼などの鉄を作る技法だ。砂鉄が豊富に採れ、木炭用の再生力の強い森林に恵まれていた吉田村を含む出雲地方は、明治中期まで日本で最大の製鉄地帯だった。吉田村の隠された鉄の鉱脈。

 吉田村にとって「鉄」は単なる活性化の手段ではない。地域が「誇りをもって自己実現できる場になる」ための「文化遺産」なのだ。

 「鉄の歴史村事業」は、だから単に観光ではない。昭和61年から連続5回開催されたシンポジウム「人間と鉄」。中身は難しい。だか、こうした博物館やシンポジウムを通じて「地域の知的体力」を高めない限り「地域から日本を変えることなど到底無理なのではないですか?」と言う。

 文化だけに偏っているのでもない。しっかりと経済効果も現れている。  この8年間に「鉄の歴史村」事業に15億円が投入された。関連組織は従業員を合わせると47人。役場が51人だから、それにほぼ匹敵する雇用効果を生み出している。

 昭和61年3月15日、吉田村は藤原氏の文案による「鉄の歴史村宣言」をした(上掲)。

この宣言には彼の深い思いが込められている。

 別れ際、同じ島根県出雲市の岩国哲人市長について聞いてみた。

 「いいですね。ああいう上司に仕えてみたい。きっと次元の高い話しができるでしょうね」

1992年12月執筆
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