明治維新後の北海道。本州からの入植者があいつぎました。入植当初は米づくりがご法度で、クラーク博士も北海道でのコメづくりには反対しました。当時はいまより寒かった(小氷河期)せいもあり、北海道でのコメづくりは不可能なはなし。ところが、入植者は、東北、北陸のコメどころ出身者が多い。禁止された稲作への挑戦は続き、品種改良や農法の工夫などで、現在では、北海道は全国有数のコメどころ。
なぜこれほどコメにこだわったのか。理由はコメが食べたかったから。しかしそれ以上に、田んぼが身近にあることの安心感を求めていたのです。
日本はなぜそうならなかったのか。農家が田んぼにコメの生産価値以上のものがあることを知っていたからです。
田んぼは四季折々にその姿を変えます。田植えの春には湿地となり、稲穂みのる夏から秋にかけては草原に、そして、冬にはまったくの裸地に。この条件にもっとも適した生き物で私たちに馴染みが深いもの。それがトンボとカエルです。トンボが宙に舞い、カエルが鳴く。それだけで、私たちはたとえようもない安心感を得るのです。
ある研究によれば田んぼのあるところはそうでない同じ条件の場所にくらべて2倍以上生物種が多いとも。これは心情的、生態的な安心感を生みます。
実利的な面では、洪水時の遊水機能です。洪水防止の考え方は堤防を高く築き水を一刻も早く海へ流すこと。洪水で堤防が決壊しても、河川の両側に田んぼがあることでそこに水がたまり、水は田んぼの排水路を通じてゆっくりと河川に戻ります。そして、人家への被害を最小限にくいとめます。
この教訓により昭和40年、県によって見沼田んぼの宅地化を認めないとする見沼三原則が制定されました。何度か開発圧力がかかりましたが、用水路を自然のまま残そうという運動が近隣の住民から持ち上がりました。
農家にとっては用水路はコンクリートでがっちり固めたほうが管理が楽です。そこで住民は、自然のままの用水路を残すかわりに、農家の負担軽減のためにゴミ拾いや草刈を自主的に始めたのです。都市住民が田んぼの素晴らしい価値に気づきはじめたのです。
コメは輸入できても生活環境、水や空気は輸入できません。不幸にして食料輸入のできない状況になったそのときは、田んぼよお前、たくさんおいしいコメを作ってくれ。 (松下政経塾 研究員 桑畠 健也)



















